「核のタブー」の終わりの始まり

2017年9月12日(火)15時40分
フランツシュテファン・ガディ(ディプロマット誌アソシエートエディター)

核戦争は起きていないが、それがたまたまなのか核抑止と核のタブーが有効だったからなのかは不明だ。ただこの2つは人々が「有効な核戦争回避の手段」だと信じることで有効性を担保している。

実際、核抑止論の専門家は「核抑止は有効だ」と繰り返し主張することで、それが自己実現的な予言となり、その効果が強化されると考えている。既存の枠組みを外れた核抑止の議論は危険なものになりかねないから、「認識論的な自己検閲」が必要だという学者もいるほどだ。

その結果、抑止論では「斬新なアイデアといっても、せいぜい形容詞や接頭辞を付けた程度になった」と、レポアは述べている。近頃はやりの抑止論は、相手国に合わせた「テーラード抑止」や他分野にまたがる「クロスドメイン抑止」などだ。

要するに核抑止は誰もがそれを信頼している限りにおいてのみ有効であり、核兵器があるというだけでは不十分なのだ。

【参考記事】北朝鮮を止めるには、制裁以外の新たなアプローチが必要だ

2つの歯止めが外れる

核抑止の効果が核のタブーに切り崩されることもある。ある国に核のタブーがあり、核兵器があっても指導者がそれを使えないとなると、他国に対する「核の脅し」は効かなくなる。緊張が高まり、一触即発の状況になったとき、あの国は核のタブーに縛られているから、核による報復攻撃はしないだろうとみれば、相手国はためらわずに核を使う。つまり、タブーがタブーを解除するわけだ。

これとは逆にトランプ政権が北朝鮮に行っている威嚇(先制攻撃もあり得る、その結果、核戦争になることも覚悟の上だ)は、核抑止と核のタブーの効果を両方とも切り崩すことになる。

トランプのメッセージは、アメリカの核をもってしても北朝鮮の挑発を抑止できず、核のタブーでは狂った独裁者の暴走を抑えられないことを示唆しているからだ。結果的に、核抑止も核のタブーも核戦争の防止には役立たないと人々に思わせることになる。

核抑止も核のタブーも社会的に形成された概念であり、政治的・軍事的な現実に対する共通認識に支えられている。それが現実だというコンセンサスがある限りにおいてのみ、戦略的な安定(つまり平和)に貢献する。

トランプが先制攻撃をちらつかせることで、今やそのコンセンサスはじわじわ崩れかけている。これは極めて危険な状態だ。核抑止も核のタブーも機能しないとなれば、北朝鮮はさらに大胆に核カードを振りかざし、アメリカはますます攻撃的に北朝鮮を牽制するようになり、偶発的に核戦争が勃発するリスクはいや応なしに高まる。

そうなれば極東に限らず、あらゆる地域で核戦争の恐怖がにわかに現実味を帯びる。

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