「核のタブー」の終わりの始まり

2017年9月12日(火)15時40分
フランツシュテファン・ガディ(ディプロマット誌アソシエートエディター)

核のタブーは、冷戦時代のソ連でも感じられていたようだ。72年に、アメリカの先制第一撃を想定した軍事演習が行われたときのこと。最高指導者レオニード・ブレジネフが、核弾頭のダミーを装着したICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射ボタンを押したときの様子を、アンドリアン・ダニレビッチ上級大将は次のように語っている。


ボタンを押すとき、ブレジネフは明らかに震えていた。顔は青ざめ、手は震え、これは現実の世界には何のダメージも与えないんだなと、何度もグレチコ(国防相)に念を押していた。グレチコを見て、「本当に演習なんだな?」と確認していた。

核のタブーという概念が確立する上で大きな役割を果たしたのは、46年のジョン・ハーシーの著書『ヒロシマ』(邦訳・法政大学出版局)だったと、ミドルベリー国際大学院東アジア不拡散プログラムを指揮するジェフリー・ルイスは指摘する。「読み始めてしばらくたつと、ハーシーの目で核兵器を見るようになる。総力戦の物理的・精神的な不道徳性を表す究極的なものと考えるようになるのだ」

【参考記事】世論調査に見る米核攻撃の現実味

深くは根付いていない?

ハーバード大学のスティーブン・ピンカー教授(心理学)は、核のタブーが確立されてきたのは、大衆における「人道革命」の一環だと言う。「核のタブーはごく緩やかに生まれてきた。......その破壊力が人類史上のいかなるものともレベルが違うこと、そして戦争における(結果の)比例性の原則に反することが十分理解され始めたのだ」

広島やドレスデン、北ベトナムに対して行われたような空爆によるホロコースト(大量虐殺)は、90年代までにアメリカの大衆にとって政治的に受け入れられないものになったと、ピンカーは指摘する。だが、核不使用の規範が、実のところどこまで深く市民と政治家の意識に根付いたかは今も分からない。

アメリカの独立記念日に合わせたICBM発射のニュースが東京の街に流れる(7月4日) Toru Hanai-REUTERS

今年8月に発表された調査では、核攻撃を行わなければ大勢の米兵が犠牲になる状況では、大多数のアメリカ人が「核攻撃を認める」と答えている。「核のタブー理論に反して、アメリカ人の大多数がイランの民間人10万人を殺す核兵器の使用を迷わず支持する」と調査チームは報告している。「通常兵器で民間人10万人を殺すことを支持するアメリカ人はさらに多い」

実際、調査に回答した人の多くが「米兵2万人を救うためなら、イランの民間人200万人を殺す」ことを認めると答えた。

映画『ウォー・ゲーム』では米軍司令官の慎重な判断で核戦争が回避されるが、現実の世界ではそうはいかないようだ。作家ロン・ローゼンボムの11年の著書『終末の始まり』にはこう書かれている。


私が取材したミサイル運用担当者たちには(核のタブーは)浸透していなかった......いつでも攻撃を行える態勢を取ることが彼らの主要な関心事で、命令を出した人間の精神状態が疑われるなど、攻撃を留保すべき理由について語ることはほとんどタブーになっている。

加えて、現実の危機に際して核のタブーが個々の指導者に影響を与えるかどうかもはっきりせず、核のタブーと核抑止の関係も検証されていない。核のタブーが働いたとされるケースでも、実は核抑止が奏功した場合もあるし、その逆もある。

ニューヨーカー誌にジル・レポアが書いているように、「アメリカの核兵器政策は、実施されなかった侵略行為、遂行されなかった戦争、訪れなかった世界の終末など、起こらなかった出来事の70年の歴史の上に成り立っている」。

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