海に落ちた針

2014年3月13日(木)19時47分
ふるまい よしこ

 もちろん、何かの事件が起こるとこうした報道規制が出るだろうことは、現場に飛び出したメディアの関係者なら誰もが予想している。問題はそれが出るタイミングとどうそれをかいくぐるか、である。彼らは情報を求めている人たち、真相を求めている人たちが社会にいることを知っているからだ。しかし、今回は乗客家族への同情、そして確かに勇みすぎた一部のメディアに対する世論の批判をバックに政府や政府系メディアが公開の場のソーシャルメディアで「メディアの自重」を堂々と説いて大衆を煽り、裏では報道を規制されるという手段が「正当化」された形となった。

 さらには家族の休憩室から引き離されたメディアの前に、休憩室から現れた男性が一部家族からの声明を読み上げ、「政治会議開催中の大事な時期に、政府に『面倒を』かけたくない」と述べたことにもメディアは困惑した。大事なのは家族なのか、それとも政治会議なのか......。メディア関係者のソーシャルメディア空間では、西洋メディアの取材力、情報収集力、検証力、発信力の的確さと素早さに打ちのめされた関係者の間で取材記者のルールをめぐる大討論が始まっている。

「メディアの職責とはムードを煽ったり、家族の悲しみを記録することではないはず。だが、相手がメディアに不満や訴えを伝えたい時、それこそメディアがやるべきことだ。そうした家族にとってメディアは唯一の支えになる。特に強大な商業の力を前に弱勢にある家族にとって、メディアを通じて彼らの声を伝えることはとても大事なことなのだ」

 香港の大学でもジャーナリズムを教えている、フェニックステレビのローズ・ルーチウさんがこう述べている。有効な情報を即時に流さないマレーシア航空と政府、そして「行き過ぎた報道」を利用して報道規制を正当化しようとする中国当局、そしてそれに隠れて情報は流さずに(時にはデマを流しつつ)ムードだけを煽り続ける政府系メディアとそれに乗せられる大衆...その中で良心的な中国メディアの記者たちはその方向性を巡って苦悩を続けている。

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