海に落ちた針
その間、マレーシアの政府関係者は監視カメラに映っていたという盗難パスポート利用者の容貌について記者会見で尋ねられ、イタリアの黒人サッカー選手の名前を挙げて彼にそっくりだ、などと答えていたのである。その後公開された監視カメラの映像を見ると、くだんの2人は同選手そっくりどころか、黒人ですらないことは誰が見ても明らかだ。
さらに12日午後に同国政府が開いた記者会見では、同機が最後にレーダーに捉えられた時間がまた訂正され、呆れられている。英紙『デイリー・テレグラフ』記者はツイッターで、「最初は午前2時40分と言い、その後に1時30分と訂正し、そこから2時40分だと言い直し、今度は2時15分だってさ......」とつぶやいている。さらにイギリス公共テレビ局のチャンネル4の記者は「最後にレーダーに映ったのは土曜日早朝の2時14分という発表に、『(位置は)どこだ?』とジャーナリストたちが叫んだが、政府関係者はそれには直接答えなかった」と伝えている。
同機の搭乗者である乗員12人を含めた239人のうち、そのうち3分の2に当たる153人が中国人だったことから、中国メディアも大きく注目している。特に今月1日に雲南省昆明で起こった無差別大量殺傷事件からそれほど日が経っていないこともあり、大量の中国人が巻き込まれるというこの大事件はあっという間に、人々の関心を1年に1度の二大政治会議(政治協商会議、全国人民代表大会)から奪いとった。
人々はネット、特に微博などのソーシャルメディアで流れる情報にかじりついた。しかし、問題は前述したように当事者であるマレーシア側から流れる情報が少ないこと。それと同時に、中国メディア――特に日頃は世界各地に駐在記者を置いていることを喧伝している政府系メディアが今回、まったく現地から独自情報を取材して返してこないことに人々は気が付いた。
中国のメディアでまだまだ海外に記者を駐在させる能力や資金力を持っている媒体は限られている。国のトップの訪問やあるいは特別な必要に応じて特派員を出すメディアは増えてきたものの、主要関係各国に駐在員を常駐させているのは中央電視台、新華社、『人民日報』などの豊富な資金力を持った伝統的政府系メディアくらいである。中央電視台はかつて「スターバックスの中国国内での価格が他国より高い」「アップルのメンテナンスサービスが他国に比べて差別的だ」と騒いだ時には海外特派員を縦横無尽に使ってこれみよがしに騒ぎ立ててきたのに、その彼らは今回まったく「機能」しなかった。
ネットには情報を求める人があふれたが、飛び交う情報は外国メディアの翻訳がほとんどで、そのうちに憶測、推測、デマが乱れ飛ぶようになる。さらには政府系メディアの微博アカウントなどが「祈ろう! MH370よ、どこにいるのだ? 皆が待っているよ、早く帰っておいで」といった「売萌」(ぶりっこ)つぶやきを連発して、若いユーザーたちを煽り始めた。中国政府系メディアは最初の数日間、「中国の捜索船が当該機のものとみられる油の跡を発見......」「残骸の一部を発見......」などという情報を流しては、わずか十分間のうちに否定されるということを繰り返す無能ぶりだった。
現地報道が頼りにならない分、中国ローカルメディアの視線は乗客家族に向けられた。空港やその後航空会社に集められたホテルでの激しい突撃取材が衝突を生んだ。そこから、「被害者報道のプライバシー」がどうあるべきかという議論がネットで巻き起こった。現場に詰めているわたしの知り合いの記者たちからは実際に家族に声をかけることすら逡巡する様子が個人的には伝えられているが、海外で前線情報に触れることができないメディアであればあるほど、アグレッシブに家族から情報を取ろうとしているようだった。
そして、世論のメディアバッシングを受けて今度は政府当局と政府系メディアが紙面や微博を使って、わざわざそんなメディアを「戒める」つぶやきを発するようになると、現場の取材に詰めかけたメディア関係者にはなんとも言えない重苦しいムードが広がった。
というのも、ほぼこれと同時にメディア報道を管轄する中央宣伝部から「マレーシア航空失踪事件について、メディアは勝手な分析や評論を控えること。中国民航当局の権威情報と新華社の統一原稿に厳格に依拠し、民航当局が乗客家族のために提供する情報やサービスなどを付け加えて報道すべし。各地のメディアは勝手に家族を取材してはならず、また不満を煽ってはならない。引き続き二大政治会議の宣伝に力をいれるように」という報道規制が出たからだ。