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ともにデヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』を愛読していた、2人の生命科学研究者がグレーバーの遺作『万物の黎明』を手に取ったのは自然の流れだった...。
代謝適応進化を研究する小埜栄一郎(サントリーグローバルイノベーションセンター株式会社主幹研究員)と代謝工学を研究する松田史生(大阪大学大学院情報科学研究科バイオ情報工学専攻教授)という2人の理系研究者が、社会・経済人類学者の本(デヴィッド・ウェングロウとの共著)を読んで得た気づきとは? 『万物の黎明』の自然科学研究に対する影響について議論した。
※前編:ヨーロッパは自由、平等を米先住民から学んだのに隠した...デヴィッド・グレーバーの遺作『万物の黎明』から受けた「知的なパンチ」 から続く
小埜 私たち理系の人間はよく、比較対象の「共通する変化」と「共通しない変化」をベン図で描きます。前者は最大公約数的であるゆえに普遍的要因と推定し、後者は独自性に関わると推定します。
2人のデヴィッドは、カリスマ的英雄や官僚主義が前者にあれば、農業は後者(共通しない独自性)に位置付けられることを多くの事例で丹念に調べ上げて結論づけています。
シンガポールのような超近代国家は食料を輸入によって調達することで農業以外のことに専念しています。当然、依存先があってのことですが、農業が国家維持に必須ではないことが分かります。
松田 農耕が開始されてから国家が生まれる4000年の間に人類が何をやっていたのかは、謎ですよね。そもそも耕作は食料獲得法としては手間がかかりすぎて効率が悪い上に、狩猟採集だけで食べていくことができる食料が豊富な地域で農耕が始まっているので、必要に迫られていたとも思えません。
『万物の黎明』では「遊戯農耕」という概念が出てきます。農耕開始が国家誕生につながるというストーリーへの反駁としては十分ですが、では本当は何が起きていたのか? という説明には今一つ何か足りない印象を受けました。
小埜 現代の企業買収などのニュースを見ていると、官僚的な農業国家を乗っ取るという形で現代国家が成立したという説は然もありなんです。大衆が暴力的にヒエラルキーに組み込まれ、年貢として重労働を強いられたのが、実際かもしれません。つまり、従来は「自由なホビー」であった農業が、義務的なジョブとしての食糧生産になったということです。
可食であるかどうか置いておいて、愛でて育ててみたくなるという動機は個人的には同意できます。種を捨てたらそこに同じ実をつける木ができたというハプニングも栽培化(Domestication)に大いに寄与していると思いますが、採取同様に栽培も最初は楽しいホビーだったのだと想像しています。
松田 豊かな狩猟採取生活には、知識と経験をもとに、毎年変化する状況に応じて工夫するベンチャー企業のアイデアマン経営者のような能力が必要です。
4000年かけて動物、植物の遺伝子構造と形態を変える家畜化(飼い馴らしDomestication)が進み、最終的には圧倒的な生産性を達成して、国家形成の基盤となったという説明が1つあり得ます。しかし、それでもやはり効率の悪い耕作をあえて選ぶ動機が今一つわかりません。
おそらく面倒な作物や家畜の世話や見張りなどの仕事が好きで得意な人が相当数いたのではないかと想像をします。いずれにせよ、4000年の間にいろいろな試みや失敗があり、農耕と国家との関係もシンプルなストーリーには回収できない複雑な歴史があるということなのでしょう。
では、私たちの専門である自然科学研究分野から、農業と国家については何か言えることはないでしょうか。
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