中央アジアとアフガニスタンが「中国の墓場」になる日
張騫を派遣した漢王朝には中央アジアと交易する意図はなく、ライバルの匈奴(きょうど)対策にすぎなかった。匈奴は中央アジアを自身の右腕と認識していたので張騫の諜報活動も「右腕を断つ」作戦の一環だった。
今日、多くの研究者たちがいわゆるシルクロード交易を経済学的に再計算した結果、どの時代もインド・アフガンと中央アジアからヨーロッパに通ずる貿易額が大きく、中国から中央アジアへの搬出量は限られていたことが判明した。事実、歴世の中国王朝は人と物が万里の長城の最西部・嘉峪関(かよくかん)から西へ出るのを固く禁じていて、長城の目的は匈奴とその子孫の南下防衛よりも中国人の密出国を防ぐことだった。
「一帯一路」構想に中国人が狂喜乱舞するのも分かる。史上初めてカネに物を言わせて現地人を動かしているのだから。
アレキサンダー大王からロシアのツァーリ、大英帝国軍からソ連軍、そして米軍まで迎えては送り出したアフガンと中央アジア。その住民は東方からの新しい珍客、中国の振る舞いを静かに観察しているはずだ。
旧植民地の心の傷に思いを馳せない日本の出版社 2023.11.04
777年前に招待状を出したモンゴルを、ローマ教皇が訪問する本当の狙い 2023.08.26
「チンギス・ハーンの子孫の国」へも越境法執行を始めた中国警察 2023.05.18
上海で拘束された台湾「八旗文化」編集長、何が中国を刺激したのか? 2023.05.01
中国による台湾言論界の弾圧が始まった 2023.04.21
ウクライナ戦争は欧米と日本の「反ロ親中」思想が招いた 2022.03.16