来日25年のフランス人が気付いた、日本の「あり得ない」裏の顔
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<日本を「理想の国」と感じた筆者。その良さは今も変わらないが、「日本ではあり得ない」はずのことを目にすることが増えたという>
25年前に初めて来日したとき、日本という国にいい意味でショックを受けた。最初の印象は非常に良かった。ほぼ全てのことが素晴らしく感じられ、大好きになった。当時はただの旅行だったが、「いつか日本に住む」と思って、すぐに準備を始めた。そのときは、日本は理想的な国で、悪いことはほぼ起こらないと確信していた。
パリを離れて東京に住み始めると、まず治安の良さに気付いた。サービスの良さや、駅員や店員がお客に対して怒らないこと、電車が時間どおりに来ること、落とし物が戻ってくる場合が多いことにも感動した。反対に、自国の弱点を山ほど発見したと言ってもいい。
25年たった今はどうか。治安はほぼ変わらず、不安を感じるときはあまりない。サービスは現在もすごくいいし、電車も時間を守る。記者として外を飛び回っている私は恵まれた日常を過ごしている。
ただ年々、気になることが増えてきた。取材や私生活を通して日本の社会の裏側を知り、日本では絶対に起こらないと思っていたことが次々と起こるのを認識するようになった。
「まさか日本でそれはあり得ない」
例えば、名古屋出入国在留管理局での死亡事件。今年3月6日に、施設に収容中だったスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった。当時33歳だった(写真は収容中の映像を確認後の遺族、8月12日)。
私は4月頃に支援団体を取材したが、彼らが説明する状況を聞いて、「まさか日本でそれはあり得ない」と思った。例えば中国や中東の国なら、残念ながらびっくりはしなかったが、日本でこんな事件が起こるのは悪い意味でショックだった。
入管では以前にも死亡事例があった。だが今回は支援団体や弁護団、記者のおかげでこれまでより詳細が次々と出てきて、いかに残酷な扱いだったかが分かった。
なぜ入管の一部職員に人間性がなくなってしまったのか。彼らは一見、普通の日本人で、職場の外ではとても優しく礼儀正しい人であるかもしれない。おそらく25年前に比べて不法滞在中の外国人が多くなり、それに伴い管理の問題が増えたと思われるが、原因はそれだけではないだろう。
数年前に私が取材した法務省の官僚が、不法滞在中の外国人は「早く自分の国に帰ってほしい」と非常に厳しい発言をしていたことを思い出した。そんな冷酷な態度が今回の事件とも関係があると思う。