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シリア情勢

トルコの侵攻を黙認する見返りに、米国、ロシア、シリア政府が認めさせようとしていること

2019年10月15日(火)18時55分
青山弘之(東京外国語大学教授)

<トルコの侵攻を食い止める断固たる行動を伴うことはなかった。米国、ロシア、シリア政府の狙いは......>

膠着状態にあったシリアで均衡崩壊が始まったのかもしれない。
きっかけは、10月6日のドナルド・トランプ米大統領による米軍撤退決定、そしてこれを好機と捉えたトルコによる9日のシリア北東部への侵攻である。「平和の泉」と名づけられた作戦は、国境地帯がテロ回廊になるのを阻止するため、シリア北東部のユーフラテス川以東地域に全長400キロ、幅30キロの「安全地帯」を設置するとともに、同地をシリア難民の帰還場所とすることが目的とされた。

2019_1013map.jpg筆者作成

トルコと米国は「安全地帯」を協同で設置することを合意してはいた。だが、排除すべきテロリストの解釈が異なっていた。トルコは、民主統一党(PYD)、人民防衛隊(YPG)、シリア民主軍(SDF)、ロジャヴァ、北・東シリア自治局(NES)などを名乗るクルド民族主義勢力を、クルディスタン労働者党(PKK)と同根のテロ組織とみなした。対する米国は、PKKとPYDを外国テロ組織(FTO)に指定してはいたが、YPGとSDFについてはイスラーム国に対する「テロとの戦い」の協力部隊とみなして支援した。

両者の意見の相違は、トランプ大統領が「安全地帯」設置への関与を投げ出し、米軍を撤退させたことで決着、トルコは武力によるクルド民族主義勢力の排除に動いた。米国、西欧諸国、アラブ諸国はこれを批判した。民間人の犠牲が避けられず、新たな国内避難民(IDPs)が発生する。「テロとの戦い」の功労者への裏切りを意味する。イスラーム国を再び台頭させかねない。クルド民族主義勢力がシリア政府(バッシャール・アサド政権)に接近する──理由は様々だ。だが、こうした批判がトルコの侵攻を食い止める断固たる行動を伴うことはなかった。とりわけ、米国、ロシア、シリア政府の対応は、歯切れが悪かった。侵攻を黙認したことの見返りに、シリアで何かを認めさせようとしていることは明らかだった。国際政治には無償の譲歩など存在しないのだ。

アメリカが気にするイランの存在感

米軍の撤退は、トランプ大統領が当初めざしていた完全撤退ではなかった。1,500~2,000人とされる兵力のうち、撤退したのは北東部の国境地帯に展開していた200人強に過ぎなかった。シリアの主要な油田地帯であるダイル・ザウル県南東部のユーフラテス川東岸地域、シリア・イラク・ヨルダン国境が交差するタンフ国境通行所一帯地域(55キロ地帯)に、米軍は駐留を続けた。

実は、この地域ではイランが存在感を増している。9月30日にはシリア・イラク国境に位置するユーフラテス川西岸のブーカマール・カーイム通行所が再開したことで、シリア、イラク、イラン、レバノンの陸路での通商が活発になることが予想されている。「シーア派回廊」などと言われている政治・軍事・経済圏の出現だ。また、イラク人民動員隊、レバノンのヒズブッラー、アフガン人からなるファーティミーユーン旅団といった「イランの民兵」(イラン・イスラーム革命防衛隊の直接・間接の支援を受ける武装勢力の俗称)が拠点を拡大・強化している。これらの民兵は、クルド民族主義勢力の弱体化を見越して、ユーフラテス川東岸に浸食する機会を伺っている。

9月に入って、所属不明の戦闘機によるシリア北東部への爆撃が頻発していたのもそのためだ。爆撃を行っているとされるイスラエルは、「イランの民兵」の増長に警戒感を強めている。イスラーム国に対する「テロとの戦い」を終えて以降、イランの封じ込めに力点を置くようになった米国にとっても、それは同じだ。NATO(北大西洋条約機構)における同盟国であるはずのトルコが、イラン、ロシア、シリア政府とともに米軍のシリア駐留を非難するという図式は、シリア内戦における勢力バランスを踏まえた場合、米国にとって必ずしも好ましくはない。トランプ大統領の今回の決定は(いつものように)「暴挙」とみなされがちだが、米軍駐留への批判をロシア、イラン、シリア政府に限定するという点で、実は理にかなったものなのだ。

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