東大教授は要りません──東大ブランドの凋落はなぜ起きたか
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<有名教授でも専任教授になれない? 東大教授は定年後の転職に困らないという時代が、終わりを迎えているようだ>
かつて東大教授といえば、60歳で定年となると引く手あまたで、多くの私立大学から教授として招聘された。私立大学では、東大ブランドが大学の学生集めに役立つと考えたからだ。しかし、最近の東大教授のポスト定年の状況をみると、これまでのような楽観的な転職が不可能となりつつある。
その背景には、(1)東大以外から優秀な大学教員が公募で採用できるようなったこと、(2)社会経験豊富で、かつ学問的業績のあるいわゆる社会人教授が採用されるようになったこと、(3)私立大学側が東大ブランド神話を無用と考えるようになったことなどがある。
こうしたポスト定年の転職状況の変化に対応すべく、東大・京大等の有力国立大学法人大学は就業規則の定年年齢を、東大は60歳から65歳ヘ、京大は63歳から65歳へとそれぞれ変更したのである。
卓越した業績のない教授は定年となれば、年金生活に入らざるを得ない状況になったといえよう。東大の有名教授といえども、私立大学の研究組織の特任教授に就職できれば御の字なのだ。
特任教授に就任した例をあげよう。国際政治学者の山内昌之氏は、東大から明治大学研究・知財戦略機構の特任教授に、文学評論家として活躍をしている小林康夫氏は、東大から青山学院大学総合文化政策学研究科学の特任教授にそれぞれ就任している。
特任教授は一般には、非常勤的なものと常勤的なものがあり、仕事は授業のみで大学内の雑用(会議等)は一切なしの職だ。給料は専任教授よりも低いが、出版活動や社外取締役等の他の仕事ができるので、ある意味では大学教授のポスト定年のあこがれの的かもしれない。
特任教授は大学によって幅はあるが、年収は600万円から1000万円程度で、70歳が定年の大学ではその歳まで務めることができる(ただし、明治大学の場合には、75歳までという特例があるようだ)。
定年の2~3年前に教授ポストの話があればラッキー
東京都内、あるいは、周辺都市にポストがあればベストといえるかもしれないが、たとえ東大・京大レベルの有名大学を定年した身であっても、専任教授のポストがないのが現状だ。
運よく、新設大学や新設学部の教授ポストの話が定年の2~3年前にあれば、ラッキーといえる。したがって、大学の定年前でも、専任教授のポストがあれば東大・京大の教授を辞しても転職するのが今や常識となっている。
口があれば、北は北海道から、南は九州まで転職していくのが常だ。かつて東大社会情報研究所教授で、日本マス・コミュニケ-ション学会会長も務めた故高木教典氏は東京から離れ、関西大学の社会学部教授となって、新設学部の総合情報学部の学部長となったほどである。
財政学の専門家として著名な神野直彦氏(元東京大学大学院経済学研究科教授・東京大学名誉教授)は東京大学を63歳で退職し、関西学院大学の新設学部、人間福祉学部教授として着任したが、1年後、関西学院大学を退職して東京に戻り、地方財政審議会会長(常勤職)になった。現在は、日本社会事業大学の学長に就任している。