セクハラ告発#MeTooは日本にも広がるか
11月12日にロサンゼルスで行われた#MeTooデモ Lucy Nicholson-REUTERS
<ニューズウィーク日本版11月28日発売号(2017年12月5日号)は「セクハラは#MeTooで滅ぶのか」特集。「#MeToo」を合言葉にしたセクハラ告発が世界に拡大中だが、なぜ男性は女性に対する性的虐待を止められない? 「告発」最新事情や各国への広がり、男性心理も分析したこの特集から、日本の現状に関する記事を転載する>
少したって振り返ったとき、2017年10月は性暴力の問題をめぐる大きな転換点だったと言われるだろう。
10月初め、ハリウッドの大物映画プロデューサーのハービー・ワインスティーンが大勢の女優や従業員にセクシュアル・ハラスメント(性的嫌がらせ)や性暴力を繰り返していたことが発覚。長い間沈黙していた女性たちの告発は米映画業界を、さらには国境を超えて世界的なうねりとなった。
「泣き寝入りせず声を上げよう」という意思の象徴となったのが、SNSのハッシュタグ「#MeToo」。始まりは女優アリッサ・ミラノが、セクハラや性暴力を受けた女性が「Me too(私も)」と書けば問題の重大さを皆に分かってもらえる、と呼び掛けたことだ。
日本ではまだ告発の嵐が吹き荒れる様子はない。アメリカなどと違い、俳優が社会的・政治的な発言をしにくいことも一因だろう。それでも、元厚生労働事務次官の村木厚子が就学前に性被害に遭ったことを語ったり、作家の森まゆみや中島京子が過去のセクハラ被害を告白したりと、#MeToo に自らを重ねる著名人が現れ始めた。
#MeToo 以前の5月、元TBS記者の山口敬之にレイプされたとして記者会見を開いた、ジャーナリストの伊藤詩織の存在も大きい。不起訴になったが逮捕が直前で取りやめられたこともあり、11月21日には捜査の在り方などを検証する国会議員の超党派の会が発足。世間の関心を集め続けている。
「私が沈黙したら同じような被害者がまた出てしまう」「大事な人たちを私と同じような目に遭わせたくない」と、伊藤は著書『ブラックボックス』などで語っているが、実名で名乗り出たのは彼女が初めてではない。司法書士事務所に勤めていた小林美佳は08年、著書『性犯罪被害にあうということ』を出版し、レイプ被害者の思いや周囲との葛藤などをつづった。
名前と顔を出した反響は大きく、予想以上に多くの人の気持ちを知り、伝えることの大切さを感じたと小林は言う。「でも、10年たっても実名での告発が騒がれるのには驚きもある」。日本ではセクハラや性暴力は個人の問題とされ、社会として取り組む機運が高まってこなかったということだろう。
今年7月には性犯罪に関わる改正刑法が施行されたが、これも根本的な意識改革にはつながっていない。1907年(明治40年)の刑法制定以来、110年ぶりの大幅見直しで、強姦罪の名称が強制性交等罪に変わり(男女とも被害者になり得る)、被害者の告訴なしに起訴できるようになった。
だが、問題視されていた「加害者の暴行や脅迫があれば強姦の罪に問える」という点は変わらなかった。多くの被害者は恐怖で体がすくむものなのに、「抵抗しなかったから同意があった」という解釈が今後も通じるということだ。伊藤のケースでも、同意の有無について両者の主張に隔たりがある。
大切な人が被害に遭ったら
「私も法改正の検討会に一度出席し、暴行・脅迫要件はなくすべきだと伝えた。でもそうはならなかった。襲われた人は強く抵抗するはず、というイメージをつくることに法律が加担していると思った」と、小林は話す。
一般にはあまり意識されていないが、千葉大学大学院の後藤弘子教授(刑事法)によれば「そもそも刑事司法は中立ではなく、男性化されている。被害者である女性のリアリティーがまるで分かっていない」。刑法が制定された明治40年といえば女性は誰かに従属し、法律で差別されていた時代だ。
「しかも警察、検察、裁判官など刑法の運用者の大多数が男性なので、ジェンダーバイアス(性差別的な偏見)に拍車が掛かる」と、後藤は言う。