最新記事

北朝鮮

副首相処刑でも止められない「市場世代」の金正恩離れ

2016年9月1日(木)17時37分
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト) ※デイリーNKジャパンより転載

KCNA-REUTERS

<「姿勢が悪い」という理由で北朝鮮の副首相が処刑されていたというニュースは衝撃的だったが、体制による締め付けは、一般市民にも広がっている。「市場(ジャンマダン)世代」と呼ばれる若者たちへの思想教育が浸透していないと、金正恩党委員長が激怒しているというのだ。北朝鮮の若者たちは今、どんな価値観を持ち、最高指導者についてどう思っているのだろうか> (平壌の児童養護施設を訪れる金正恩党委員長、2014年撮影)

 韓国統一省は8月31日、北朝鮮の金勇進(キム・ヨンジン)教育省副首相が、7月に銃殺によって処刑されたと明らかにした。

 処刑の詳細は現時点で明らかではない。しかし、統一省が発表する2日前の29日、韓国の中央日報は、北朝鮮軍幹部や芸術関係者が公開処刑されたとされる平壌郊外の姜健(カンゴン)総合軍官学校で、教育相と農業相が「高射砲で公開処刑された」と報じていた。

(参考記事:玄永哲氏の銃殺で使用の「高射銃」、人体が跡形もなく吹き飛び...

 金勇進氏が処刑された理由は「座る姿勢が悪い」。自身が担当する教育政策に関する失策で問責されるならともかく、座る姿勢で処刑されたとするなら、あまりにも理不尽で当の本人も浮かばれないだろう。

 教育省副首相の処刑の件は別として、若者たちへの思想教育が浸透していないことから、金正恩氏が激怒していると、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)は報じた。

正恩氏のセンスは「人間の価値を下げる」

 北朝鮮のイマドキの若者たちは「市場(ジャンマダン)世代」と呼ばれる。この世代は、幼少期に1990年代中盤からはじまった「苦難の行軍」と言われる大飢饉を体験したことから、それまでの古い世代とは、まったく異なる価値観を持つようになった。

 彼らは、国から押し付けられる思想学習には全くと言っていいほど興味を持たず、国や金正恩党委員長への忠誠心も希薄。ビジネス、音楽など自分の生活を豊かにすることにだけ興味がある世代だ。挙げ句の果てには、金正恩氏のセンスを「ダサい。人間の価値が下がる」などと、無慈悲にこき下ろす。

 この状況に対して激怒した金正恩氏は、次のように指示を出した。

「青年たちを党の思想で徹底的に武装させよ」
「青年たちが先頭に立ち、政治思想学習の大旋風を起こさなければならない」

 両江道(リャンガンド)の情報筋によると、正恩氏の指示に従って、青年同盟中央委員会は7月20日、北朝鮮の最高学府「金日成総合大学」など北朝鮮屈指の大学の学生のうち、青年同盟員を対象にして大々的な検閲(監査)、それも抜き打ちテストを行ったところ驚くべき結果が出た。

女子大生が拷問に耐えきれず

 8割以上の学生が金正恩氏の「新年の辞」のタイトルすら知らなかった。平壌のエリートですらこの有様なのだから、地方の大学の状況は推して知るべしだ。これに対して、青年同盟中央委員会は、政治学習の強化に力を入れる。

 慈江道(チャガンド)の情報筋によると、8月初めから青年同盟の各組織別に新年の辞と昨年の朝鮮労働党創建70周年の労作(金正恩氏の著書)、朝鮮労働党第7回大会開幕演説、事業総和報告などを学ぶ学習会が改めて行われているという。

 青年同盟中央委員会は、大会参加者を各道庁所在地に呼び集め、新年の辞と事業総括報告の集中学習会を受けさせた。あまりのハードスケジュールに体重が3~4キロも落ちたなどと不満が続出するほどだった。

 先月27日から28日にかけて、「青年同盟第9回大会」が23年ぶりに開かれた。これも若者たちに対しての統制強化が目的だったのかもしれない。

 しかし、このような学習会を行っても「若者の政治意識や思想は変わることはない」と各情報筋は口を揃えて言う。

 90年代後半の大飢饉「苦難の行軍」で配給システムが崩壊した中で子ども時代を過ごしたジャンマダン世代は、国や指導者は何の役にも立たず、むしろ自分たちのやりたいことの邪魔をする「目の上のたんこぶ」程度に考えていると言われている。

 また、外国映画や韓流ドラマを通じて、北朝鮮の外の世界を知っている。若者たちは、決して視聴してはならない韓流ドラマをこっそり見ながら、韓国社会にあこがれを持つ。韓流ドラマのファイルを所有していると、最悪の場合、命を落とす危険があるにもかかわらずだ。

(参考記事:北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは...

 金正恩氏が、いくら処刑で体制を引き締め、23年ぶりの大会で若者たちに忠誠心を持たせようとしても無駄だろう。それは、増加する脱北者、そしてテ・ヨンホ駐英公使に代表されるエリート層の相次ぐ亡命が物語っている。

[筆者]
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト)
北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ――中朝国境滞在記』(新潮社)、『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)、『北朝鮮ポップスの世界』(共著、花伝社)がある。

※当記事は「デイリーNKジャパン」からの転載記事です。
dailynklogo150.jpg

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

豪ボンダイビーチ乱射事件、銃撃前に手製爆弾投てきも

ビジネス

午後3時のドルは157円前半へ小幅安、日銀後の急伸

ビジネス

日経平均は続伸、節目5万円を回復 AI関連に買い戻

ビジネス

ドイツ自動車輸出、1─9月に約14%減 トランプ関
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 2
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低く、健康不安もあるのに働く高齢者たち
  • 3
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリーズが直面した「思いがけない批判」とは?
  • 4
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 5
    週に一度のブリッジで腰痛を回避できる...椎間板を蘇…
  • 6
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 7
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 8
    【外国人材戦略】入国者の3分の2に帰国してもらい、…
  • 9
    米空軍、嘉手納基地からロシア極東と朝鮮半島に特殊…
  • 10
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 5
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 6
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 7
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 8
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 9
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 10
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 8
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中