ポピュラー音楽のなかにも懐古的な要素を持つものはあるけれど、それは限られているわけで、絶えず新しい響きやリズムや、近年では聴き手の新たな参加形態などを求めて音楽が変化している。
他方、クラシックの場合はむしろ、作品が作曲された何百年も前のスタイルを再考し、可能な限り復元しようとする研究(いわゆる「古楽」研究を発端とした)のなかから、結果的にここ数十年の新たな演奏様式ができあがってきたという経緯があるのだから。
当然のことながら、クラシック界のこうした変化も、イギリスやオランダといったヨーロッパの国々から始まっており、日本の音楽家たちがそれを「学ぶ」までにはかなりのタイムラグがあった。
そうした情報を感知し技術として習得し、またその習得後もヨーロッパに住み続けて、絶えず新たな刺激を受け続ける必要がある。ことに、HIPと略される「歴史的知識に基づく演奏historically informed performance」が日々更新されている現場にいるような、ソロ活動やアンサンブル活動をしている演奏家には、このことがより的確に当てはまるだろう。
もちろん、現在合衆国ないしヨーロッパのどのオーケストラにも必ずひとりふたりは所属している日本人演奏家たちのすべてが、そうした意識で音楽活動を「国外で」行っているわけではないにしても、モーツァルトやベートーヴェン、ヴァーグナー、マーラーといった作曲家たち(例がドイツ系だけで申し訳ないが、もちろんフランスやイタリア、ロシア等々、他の諸国の作曲家たちを含めて)のオーケストラ作品演奏スタイルの急激な変化も顕著であるわけで、常に最新の刺激と変化の最前線の感触を肌で得ながら、日々の演奏活動を続けられる現場がそこにあることには変わりがない。
国外で活躍するクラシックの日本人演奏家は、現在けっして珍しい存在ではない。人数の上だけで計るならば、他の芸術ジャンルはまったく及ばないだろう。
しかしながら、オリジナルなもの(作品)を創る音楽家、すなわち作曲家として国外に在住しながら創作活動を行うひとは、それに比べるとはるかに少ない。
そもそも、日本以外に住みながら創作活動を続けるという日本人作曲家のあり方、そのモデルとも言えるものを創始したのは誰なのだろう?
例えば、かつての山田耕筰のようにドイツに留学し、いくつかの作品を書いて発表はするものの、基本的には帰国して創作活動を続けるというひとが第二次世界大戦以前には多かった。
近年、再評価の高い大澤壽人のように、合衆国とフランスで創作活動を行ったひとも、その期間はさほど長くはなく、また本来の滞在目的は「学び」である。貴志康一のように、最初の留学のあとに、数回ドイツに赴いてはベルリン・フィルを振るなどした作曲家/指揮者の場合も、その期間は非常に限られている。
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