ユヴァル・ノア・ハラリ×オードリー・タン対談(1/3)──「ピンクのマスクはカッコいい」、誰もがルールづくりに参画できる社会の到来
タン 性別のチェックと同じような問題は、絵文字にも見ることができます、絵文字は、多くの人がコミュニケーションのために使用する、抽象的なシンボルです。非常に長い間、人の絵文字はすべて男性の図柄でした。女性の絵文字に切り替えるには、ジェンダーセレクターで設定しなおさなければなりませんでした。ちょうどここ1、2年の最近の出来事ですが、多国籍企業やコード作成者のための規格作りの団体であるUnicodeコンソーシアムが、一番よく使うような絵文字である「歓喜の笑い」「歓喜の涙」の顔は、デフォルトでジェンダーニュートラルに見える必要がある、と言い始めました。男の子に見えるようにしたい、女の子に見えるようにしたいのであれば、追加の作業をしなければならないし、男の子に見えるようにするのと、女の子に見えるようにするのとでは、同じくらいの作業量でなければならない、と主張し始めました。
こういうことが一般的になってきたのだと思います。もしプログラマーが今の自分の常識にこだわる場合、もしチェックボックスのメーカーが他の選択肢を許容しない場合、市民ハッカーに頼ることになると思います。将来の市民ハッカーが、将来の社会規範の変化に応じて修正してくれるはずです。
ちなみに台湾では、入国の際の空港で入力してもらう健康確認フォームには、男女以外の選択肢も追加されています。しかし、台湾はアジアで唯一、集会や言論などの自由が完全に守られている司法管轄区なので、市民ハッカーが不当に処罰されることはありません。アジアの他の場所では、同性婚ができないのと同じように、この種の市民ハッキングをすれば、トラブルに巻き込まれる可能性があります(笑)。
つまり、適正な手続きにのっとりさえすれば、アルゴリズムのコードを法のコードと同じよう書き換えることができるのかどうか。社会がそうすることにどれくらい前向きか。それ次第だと思います。
価値観を変えたピンクのマスク
ハラリ この問題は、繰り返しになりますが、私たちの生活を形作る自然法則と、私たちが考案したルールの違いは、歴史の主要なテーマの一つです。もちろんどの文化も、どの宗教も 、自分たちの法則は自然の法則であり、法を破る者は不自然なことをしていると主張します。
これは明らかに間違っています。あなたが言ったように、法律が本当に自然の物理法則に従っているのであれば、それを破ることはできません。でもどこかの宗教が来て、「二人の男性がお互いに愛し合ったり、二人の女性がお互いに結婚したりするのは不自然だ」と言った場合、法律が自然の法則にのっとっているのであれば、同性婚は間違いということになります。
光の速さよりも速く動けないような、本当の自然法則は、絶対に破れません。でも二人の女性がお互いに愛し合ったり、セックスしたりすることは、生物学的にも物理的にも可能です。人間が作ったルールだけが「ダメだ。間違っている。そんなことは許されない」と言っているだけなのです。ある意味、コンピュータコードの良いところは、多くの場合、簡単に修正できるということです。コンピュータコードが何らかの意図を持って書かれたものであっても、意図しない偏見で書かれたものであっても、簡単に修正できます。
人間の場合、ゲイや黒人に対し 偏見を持っている人がいれば、「この人が偏見を持っています。この仕組みに偏見があります」と指摘できます。それに同意してくれる人もいるでしょう。でも、それだけで偏見を変えることはできません。偏見は意識的な知性よりも 、もっと深い潜在意識から来ているからです。
さてコンピュータには潜在意識がないと言ってもいいでしょう。コードのどこかに偏見が含まれていれば、それを変えればいいだけです。 コンピュータのコードを同性愛者に優しいものにしたり、LGBTに優しいものにすればいいのです。人間の持つ偏見を変えることよりもある意味ずっと簡単です。