中国をかばい続ける公明党の危険な片思い
<創価学会が自慢げに語る周恩来と池田大作の「伝統的な友情」だが、中国では全く異なる視点で捉えられている>
「小さな声を聴く力」を持つ政党、「〈生命・生活・生存〉を最大に尊重する人間主義を貫き、人間・人類の幸福追求を目的とする」公明党は今、その理念と真逆の道をまっしぐらに走り続けている。
中国に弾圧されている諸民族が獄中から発する悲痛な声を無視し、ジェノサイド(集団虐殺)の犠牲者や被害者の生存と幸福に無関心でいるからだ。
日本の政権与党でもある公明党はどうしてかくも独裁政権である中国の悪行をかばい続けるのか。大方の理解によると、その支持母体である創価学会の名誉会長である池田大作と故周恩来との「伝統的な友情」を何よりも大切にしているからだという。
創価学会の公式見解では、1974年12月5日夜、2度目の訪中時に首都北京に滞在していた池田氏に周から面会の要望が届いたそうだ。周が入院中だったことを配慮して固辞したものの、再度の要望に応えて北京市内にある高級幹部専用の「三〇五病院」で会見は実現した。これがいわゆる両氏の感動的な出会いだとされている。
「創価学会は、民衆の中から立ち上がった団体である」と、周が1960年代から同会について言及していたことも、学会の自慢になっている。日中友好とアジアの平和、ひいては世界の安全を周から期待された創価学会は、中国人留学生を受け入れ、日中交流の促進に努力したという。
しかし、「民衆の中から立ち上がった団体」とは、まぎれもなく中国共産党の人民革命論に即した表現だ。立ち上がった民衆が腐敗しきったブルジョアジーと地主といった「搾取階級」を打倒して人民政権を樹立する──。それこそが、社会主義国家の進むべき道であるというのが中国共産党の公式理念である。周もそうしたイデオロギーの観点から創価学会の「革命」精神に期待したと理解すべきではないか。ただ、賢明な池田氏は日本に共産革命の精神的土壌はないと内心分かっていただろう。
私自身は、周の肝煎りでつくられた外交官育成を目的とする外国語大学で日本語を学んだ。「日本事情」という講義で触れられた池田氏と周の会見については、学会の公式見解とは全く別の角度で教えられていた。
「中国での布教をもくろむのではなく、日中友好活動だけやってください」とした周の発言が、私たちの教科書には記載されていた。中国側と創価学会側は「日中友好」については合意に達していたものの、布教の自由を与えないと周から事前にクギを刺されていたのだ。創価学会が片思いを寄せる「日中友好」も、最初から信仰の自由のない政治的なゲームでしかなかった。
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