森喜朗会長はなぜ東京オリンピックに君臨するのか
<昭和のオリンピックから脱却し、令和のオリンピックが行われることを期待する>
オリンピック開催を巡る1月の報道と森会長の「差別発言」
コロナ禍の緊急事態宣言下の1月、開催まで半年を切った東京オリンピックをめぐる報道が盛んになされた。
1月の23、24日に朝日新聞社が実施した全国世論調査https://www.asahi.com/politics/yoron/ではオリンピックについて「今夏に開催」は11%にとどまり、「再び延期」が51%、「中止」が35%だったとの報道があり、国民のほとんどが反対するオリンピックを強行するのかとの国内外の非難が高まり混乱を極めた。
事態を収束させるべくIOCバッハ会長が1月28日、「ことし7月23日の開幕に完全に集中している」と記者会見に応じ、コーツ副会長も2月3日に「開催は100%」とし「観客を入れるかについては3月にも判断」と中止論のこれ以上の拡大回避に努力していた。
そうした矢先に、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の「女性蔑視」発言が炎上している。「何が問題だったのか」を理解して釈明会見に挑んでいないため、逆に火に油を注ぐ結果となっている。発言内容は看過できないが、逆にそのような「老害」とされる人物が、なぜ関係者にとって「余人を持って代えがたい」存在として君臨しているのかについて考察したい。
森会長の昭和の時代の得意技、調整能力、義理人情
1984年のロス五輪以降、IOCは商業主義に転換し成功を収めた。オリンピックは儲かり、開催国の政権の支持にも繋がるとして立候補都市が殺到する。それらの招致都市を競わせ、有利な条件で開催都市契約を締結し開催するのだ。その「貴族的な」要望が追加負担を開催都市の納税者に要求するものだとしても、立候補時にその予算で可能と提案してきたのは開催都市のほうだとして突っぱねてきた。開催に当たっての運営のノウハウもなく人生で初めて就任する組織委員会メンバーは、IOCの意見を伺い従うしかないことも多かった。
それが、このコロナ禍で変化しているらしい。IOCにとっても、延期も、世界的なパンデミック下での開催は初めてだ。感染下での安全な開催について、様々な実験を行っている組織委員会と立場が逆転しつつある。
緊急事態宣言下の厳しい世論を伝え、IOCが求める通常のスタイルでの開催にこだわり続けると開催できない可能性があると交渉し、組織委員会が様々なIOCの要望を却下している。
象徴的なのは開閉会式には全参加選手を参加させたいとするバッハ会長の要望を森会長が退け、参加人数は半減させ簡素化する方向で合意を勝ち取ったとか、また「貴族的」とされてきた宿泊ホテルのグレードダウン、専用のハイヤー等廃止がIOCに受け入れられたと聞く。
- 1/3
- 次のページ