イタリア事情斜め読み

ヴィズマーラ恵子|イタリア

グッチ一族の暗殺事件をどこよりも詳しく解説してみた

iStock- GoodLifeStudio ミラノのグッチ ガッレリア店

私が、この記事のタイトルにした「グッチ一族の暗殺事件をどこよりも詳しく解説」できるのには訳がある。


グッチ一族の崩壊とスキャンダラスなマウリツィオ・グッチ暗殺事件の黒幕だったマウリツィオの元妻、パトリツィア・レッジャーニ。
この被疑者パトリツィアの弁護を務めたのがダニーロ・ブォンジョルノ弁護士である。

実は、私の夫は、当時このダニーロ・ブォンジョルノ法律事務所に勤めていた。夫の雇用主であり、上司である弁護士がグッチの顧問弁護士をしていると聞かされた。
夫は、まだ20代で若く駆け出しの見習い研修生だったので、裁判準備にあたる資料集めや整理やコピー取りなどの事務作業と雑用を任されていた。パトリツィアにはアレッサンドラとアレーグラという娘が2人おり、家族からの証言として様子を伺う為に法律事務所へ来所してもらった際には、夫が娘さんやパトリツィアの母親にお茶(カフェ)を出すお茶出し係りをするくらいのことしかしておらず、話を聞いても、大した活躍はしていなかったと思う。しかし、とにかく、被疑者(被告人)の顧問弁護士の元で働き、近くでこの事件にずっと関わってきた。
殺人現場の写真やマウリツィオ・グッチが亡くなった状況なども実際に見て詳細に知っている。裁判傍聴も裁判所でしてきたそんな夫に、当時の事をふりかえってもらい、詳しい事を聞いてみた。

ブォンジョルノ法律事務所に勤めていた時の夫の名刺:筆者撮影

グッチ(Gucchi)はイタリアではよくある一族で発展してきた家族経営の企業の一つである。現在は、グッチの経営権は完全に創始者一族から離れているが、創立当初は創業者のグッチオ・グッチがフィレンツェで始めた靴屋から始まった。開業2年で2店舗目を出しているほど業績は良かった。
グッチオには6人の子供がいた。すでに始まった兄弟間での確執と後継者争い。三男のアルドは反対を押し切りローマやニューヨーク、パリなどに支店を出し海外進出をさせた。五男のルドルフォは最も父のグッチオに愛され、兄のアルドと均等にグッチの株の配当を受けた。ルドルフォ死後、ルドルフォの一人息子であるマウリツィオに50%の株は相続された。アルドは40%、アルドの3人の息子ジョルジョ、パオロ、ロベルトはそれぞれ3.3%ずつ株を持った。
創業者の孫たちである第三世代になってから、グッチ一族の最高責任者の座をめぐる争いが加速し始める。
その孫の世代になれば、アルドの息子のパオロが3代目の社長に就任した時に、中流階級まで顧客層を伸ばした商品のブランド展開を独断で始めた為に、これまで父の築いた高級路線、グッチが持っていたハイブランドな企業イメージは壊され傷がついてしまった。グッチの売り上げも低下した。

これが父アルドの逆鱗に触れ、パオロはグッチから追放された。
日本でも老舗家具屋の経営権を巡って激しく争った父娘の公開親子喧嘩は記憶に新しいが、いつの時代でも、所変わっても、似たようなものである。


その後、このグッチを追放されたパオロだが、従兄弟にあたるグッチ株を50%所有するマウリツィオとタッグを組み、父親のアルドを社長の座から引き摺り下ろすというクーデターを起こす。
株主総会が開かれ1984年に2代目のアルドは社長を辞任した。そして3代目の社長に就任したのが、マウリツィオである。
アルドは簡単に社長の座を奪い取られた事に黙っているわけもなく、翌年裁判を起こした。マウリツィオは社長職を一旦離れるが、翌年パオロは父親の脱税を告発し有罪判決。80歳過ぎの老いた父親を獄中に送った。

このパオロとマウリツィオを共謀させ、2代目社長を辞任に追い込み、自分の夫であるマウリツィオを3代目社長に就かせる計画を企てたのが、これから紹介する"レディーグッチ"こと「パトリツィア・レッジャーニ」である。
パトリツィア・レッジャーニとマウリツィオ・グッチの13年間の結婚生活の中で、2人の娘を授かった。
しかし、夫と経営方針や意見の食い違いで言い争いが絶えず、夫婦関係は破綻。娘たちの為にもよくないと我慢の限界に達したマウリツィオは家を出て彼女と別居する事を選んだ。
子供たちは、母親のパトリツィアが養育をする。


後に、ディスカバリー+プラットフォームで配信されたドキュメンタリー「レディーグッチ、パトリツィア・レッジャーニのストーリー」でインタビュー中に自分自身について、離婚原因や決定的な殺意が芽生えるきっかけになった出来事などを赤裸々に語った。

マウリツィオは、2人の娘との間にも不信感を残した。「母乳はママがいつも持っているから大丈夫、(だから僕は別に要はないから出ていく)」と言った事が離婚を決めた最初の理由で、それからマウリツィオに対して恨みが生まれた事を語っている。

「私は特定の日にマウリツィオを憎むようになりました。しかし、子ども達にとっては父親なんだし、親子である事には変わらない。家族はいつでも家族だと思っていたけど、彼がスーツケースの準備がすでにできていたことに驚きました。」

と、パトリツィア・レッジャーニは語った。

その時は、彼女にはまだ余裕があった、それは、まだ「グッチ夫人」という立場は健在だったから。

しかし、マウリツィオが離婚をしたいと言い出し状況が一気に変わった。

彼には新しいパートナーであるパオラ・フランキという女性の存在がある事を知った。
それから何年にもわたる喧嘩と非難が続いたという。彼女は出て行った夫に電話で:「あなたはまだ本当の地獄を見ていないわ、これからよ」と言い放ち、ここから、泥沼の離婚調停のゴングが鳴った。


パトリツィアは離婚による慰謝料として、年間100万ユーロ(当時のレートで約1億3000万円)相当を受け取る事で合意していた。正式な離婚は1991年に成立。
1992年、パトリツィアは脳腫瘍と診断され、腫瘍の摘出手術に成功した。
その後、マウリツィオ・グッチが再婚すると決定した事が、直接の殺害への動機となった。実際のところ、直接の原因は嫉妬からではなく、1993年9月末、マウリツィオがグッチの持ち株50%をバーレーンの会社に売却するという決定であった。

ヨーロッパでのホテルチェーンの建設など、いくつかのプロジェクトを開始する準備ができていたが、マウリツィオは自分の肩にのしかかる重い負担から解放されたい一心であったからだ。しかし、それを知ったパトリツィアは、夫と同じように贅沢な生活を愛し、現実から浮世離れしたライフスタイルを放棄しなければいけなくなるというお先真っ暗な将来の見通しに絶望し、一層の事、全て失くして終えと、単にパニックに陥った可能性がある。

そして、彼をこの世から排除するにはどうしたらよいかという事を考えだし、それがマウリツィオ・グッチへの殺意へと徐々に変わっていった。犯行の実行に及ぶ1年前の1994年の事であったという。

また続けて、パトリツィアは正直にインタビュー内で率直に語っている。

「私は彼を殺すには、銃を使った事がないので射程もわかりませんし、照準を合わせる方法も知りません。銃の調達も私には無理だし一人で犯行に及ぶことは到底できませんでした。そのうち、私に代わって、夫を殺してくれるプロの殺し屋がいて対価を受け取って殺人を請け負う"バンダ・バソッティ"を知りました。」

ナポリの占い師で、グッチストアのオーナーでもあったパトリツィアの友人で、姉妹のように仲の良い親密な関係性だったジュゼッピーナ・アウリエンマに相談。
暗殺を一緒に企て、準備をした。犯罪組織のトップであるイヴァーノ・サヴィオーニにパトリツィアは、ナポリの魔術師と呼ばれていたヒットマンを紹介されて雇い、夫の暗殺を依頼した。

ここから先は、日本語では一切どこにも公表されていない日本未発表の内容である。

ヒットマンのベネデット・セラウロは、1995年3月27日の朝8時30分にミラノのコルソヴェネツィアにある会社の本社、パレストロ通り20番のエントランスホールに入った。
階段の上から降りて来るマウリツィオに駆け寄り、下からピストルで撃った。4発の銃撃を放ち、左肩に1発、右腕に1発、そして銃弾は太腿の付け根から入り臀部を通って頭を貫通した。倒れたところを最後の止めに4発目をこめかみに打ち込んでいる。
マウリツィオはその場で即死。
その玄関に立っていたポーターのジュゼッペ・オノラトにも2発、発砲したが殺すことはなかった。
後に裁判で2発撃たれて負傷したオノラトの証言が決定的なものとなった。

暗殺の実行をした犯人らは暗殺の報酬としてパトリツィアから受け取る報酬金は6億リラで合意していた。(日本円にして約3,900万円相当)、実際にはパトリツィアは5億リラ(日本円にして約3,300万円)を支払った。

犯人逮捕までには捜査は難航し、2年間の未解決事件となっていた。捜査官が仕掛けた「カルロス作戦」で逮捕につながったのだ。

|「カルロス作戦」とは、

1997年1月8日の夕方、ミラノのクリミナルポールの長であるフィリッポニンニが一本の電話を受けた。話したいことがあるからすぐに会いたいという男は、ガブリエーレ カルパネーゼという男。この男については、警察はよく知っている。カルパネーゼが話す内容は、身の毛もよ出すような話だった。「パトリツィア・レッジャーニが陰謀の真の正犯者だ。彼女の友人のピーナも共犯者で一緒に犯罪を計画した。私が住んでいるホテルのポーターをしているサヴィオーニに連絡したのは彼女だった。彼が実際に手を下す殺人の実行犯で常に連絡役をしていた、しかし実際に撃ったのは彼の友人のベネデットという男だ。」と、驚くべきことを話した。

ピーナが殺人を依頼したのが、サヴィオーニで、彼は当時ミラノのロレート広場近くの小さなAdryホテルのポーターをしていた。運転手役をしたのは、アルコレという町でピザ屋の借主をしていたチカーラである。殺人を実行したのち、報酬金が思ったよりも少なかったことで、既にパトリツィアに対し不満があり、もっと報酬金を吊り上げ金銭を要求しようという動きはあったようだ。

警察の覆面捜査官がコロンビアの犯罪者のふりをして、仲介役のサヴィオーニと接触し、「殺人を依頼した人を恐喝しよう」と報酬金を釣り上げる企てを持ちかけ、サヴィオーニの動きを追うという作戦の罠を仕掛けた。
サヴィオーニがセラウロに電話をし、パトリツィアを恐喝しようと持ちかけた。パトリツィアの家に2人が行く打ち合わせまで、もちろんこの会話の内容は警察に傍聴されている。
2人が、パトリツィアの家に到着、パトリツィアと密会している所に捜査員が踏み込み逮捕。

パトリツィアは、当時、夫マウリツィオと愛人パオラが以前住んでいた建物であるコルソヴェネツィアの豪華な邸宅、彼女の母親のシルヴァーナと彼女の2人の娘のアレッサンドラとアレーグラと一緒に4人で暮らしていた。マウリツィオ・グッチを殺害した殺人の依頼の主犯として殺人容疑で1997年1月31日の夜明けに逮捕された。

逮捕連行されている日、彼女はすべての宝石と派手な毛皮を身に着けていた。
刑務所に入るので、それらの貴重品や毛皮は家に置いておくように忠告をされたが、パトリツィアは聞き入れず、「私の宝石と私の毛皮は、私が行くところについて来ます。」と言ったことは有名である。どこに行こうがレディーグッチを貫いた。
刑務所入所は宝石と毛皮を身につけ堂々の入所のレディーグッチ。

この殺人を依頼をした主、扇動者が誰であるのかという証拠を掴むまでに費やされた、地道な調査に約2年間を要した。

カルロス作戦について、彼女は、「警察は絶対に私を捕まえられるわけないと思っていたわ」と素直に正直に語っている。彼女は逮捕当初は、100%無実を主張していたのだが...。

結局、4人が起訴された。
犯罪組織のトップであるイヴァーノ・サヴィオーニが殺人予備罪の限度で共同正犯、そしてベネデット・セラウロも共同正犯で逮捕された。犯罪当日に運転手役をしていたオラツィオ・チカーラは、すでに別の犯罪で刑務所に入っていた。
1997年1月31日4時30分に実行犯3人の男と教唆共犯のジュゼッピーナ・アウリエンマが逮捕された。


有罪判決

○ベネデット・セラウロ共同正犯執行者:懲役28年11カ月の求刑、現在は出獄して自由。

○イヴァーノ・サヴィオーニ殺人計画教唆共犯:懲役20年の求刑、彼も現在は出獄。

○オラツィオ・チカーラ殺人幇助:懲役26年の求刑、服役中に刑務所で亡くなった。

○ジュゼッピーナ・アウリエンマ殺人計画教唆共犯:懲役19年6カ月の求刑、13年服役し、2010年7月にサンヴィットーレ刑務所を出獄。
現在は出所。

夫の上司であるダニーロ・ブォンジョルノ弁護士は、控訴院で「パトリツィア夫人は、以前脳腫瘍の除去のため脳外科手術を受け、後のコバルト療法により殺人を依頼した犯行当時は善悪の判断がつかない心神耗弱状態だった」と主張した。
ブォンジョルノ弁護士の試みは、脳の手術とその後の治療の後に夫人が被った被害を実証することだった。
脳外科手術後に受けたコバルト療法の後は、誰もが判断力を失い善悪を理解する事が困難であると主張し、ペット検査と呼ばれる脳器官のすべての側面で効果的な機能を強調する新しい技術診断結果と、パトリツィア・レッジャーニの脳の機能が病変した部分を示す別のX線検査の結果を提出した。
医学的観点からテクニカル的な新しい診断結果を提出したが、脳の機能が不具合を起こしていたとしても、争点はパトリツィアの場合は犯罪を組織する事ができていたのかというのがポイントであった。彼女の5人の共犯者からの供述事実によれば殺人の依頼をした当時の女性の精神的健康状態は平常良好で、心神耗弱状態であったとは到底言い難い。判断能力も責任能力もあるとジャッジされた。
この日の公聴会では、女性の精神的健康状態についての質問にパトリツィアは立ち会わないことを望み体調不良で欠席をした。
そのかわりに、彼女の娘たちであるアレーグラとアレッサンドラ、そして彼女の母親のシルバーナ・バルビエリが裁判に情状証人として出廷し、家族としてパトリツィアの様子はどうだったかを公判で証言をした。
裁判官はそれらの参考証言や反論を退け、殺人罪でパトリツィア・レッジャーニに懲役29年の求刑をした。ブォンジョルノ弁護士はすぐに上訴した。少し減刑され、最高裁判所で懲役26年の刑を宣告された。

パトリツィア・レッジャーニ殺人正犯:懲役26年の有罪確定。


1998年11月3日からサンヴィットーレ刑務所に入獄。2000年には刑務所内で首吊り自殺を測ったが未遂に終わったというニュースがあった。

ディスカバリー+の番組は、パトリツィア・レッジャーニとは、どんな人物なのか?を探る1時間半のインタビューを収録したものをノーカットで放送した。
72歳になった元グッチ夫人は、優雅で快適そうな肘掛け椅子に座って、有名なファッション王朝の相続人マウリツィオ・グッチと26歳のときに出会い、結婚に至るまで事を静かに振り返り誇らしげに語った。

ディスカバリープラスオフィシャルサイト @youtubeより

結婚式、ヨットでの生活、プライベートジェット機や豪華な家と別荘、素晴らしいパーティー、激怒争いそして新しいパートナーのパオラ・フランキと再婚する為に彼から突きつけられた離婚要求まで、その愛から憎しみへのと変わった心の変化と獄中生活はどのようなものだったかを語った。
中でも、裁判で有罪判決を受けサンヴィットーレ刑務所で過ごした17年間の生活ぶり、そこでのすごし方は驚くべきものであった。

彼女は、なんと刑務所内でも特別待遇を受けていたという。
実際、彼女は投獄中、ペットとしてフェレットを飼っていて、フェレットとゆったりとした生活をしていた。
彼女が言うには、

「私はそこで素晴らしい時間を過ごしました、この刑務所で過ごした何年もの月日はとても平和でした。私はよく眠り、朝目覚めて体を洗い、そしてフェレットと一緒にお庭に出て日光浴をしていました。お昼寝をしてゆっくり過ごしました。私は特別な治療を受けました」

と。 彼女は「(刑務所の)勝利の住人」と呼ばれていたのも分かる気がする。

2011年10月、彼女は刑務所の監督下で働く機会を提供されたが、パトリツィアは拒否した。
ブォンジョルノ弁護士は、面会に行き執行猶予中に有名なミラノのファッションブランド「ボザート」で働くことができるように依頼し、仕事が見つかったのでそこで働く事をパトリツィアに提案をしお伺いを建てた。
すると、パトリツィアは、「私は働いたことがないので、刑務所内の植物のお世話をする水やり係りをしていたい。だからずっと刑務所にいたい」と言い、刑務所を出て働く事を拒否したのである。
2013年に、監督裁判所は彼女の釈放と社会福祉への委託を命じた。
後に2014年9月16日からサンヴィットーレ刑務所の再教育プロセスを締結したので、監督裁判所は執行猶予3年を適用しなかった。決定的に完全に釈放されたのは2017年2月20日。
パトリツィアは、模範囚だったため、刑期を9年残し17年間の服役を終え出獄した。刑期が26年から17年に短縮減刑された事で、「勝利の住人」という名前から変わり、その後、不屈のブラックウィドウ「クロゴケグモ」(直訳では黒い未亡人)というニックネームで呼ばれるようになった。

ディスカバリー番組のインタビュアーの女性は、パトリツィアについて「刑務所に入っても彼女の性格は全く変わらなかった。刑務所が彼女を変えるどころか、むしろ刑務所を変えたのは彼女の方だった」と要約した。

実に完結なまとめである。


刑務所内でペットを飼う事ができペットのフェレットと庭でお昼寝をして過ごし、家族や友人が自由に会いに来れるように面会優遇年間パスを与え、刑務所での称呼番号(囚人番号)で呼ばさせず名前で呼ばせ、執行猶予で刑務所の外に出て社会奉仕活動もせず、働いた事がないと拒否して、獄中ライフをエンジョイできたのは彼女くらいなものではないだろうか。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた白貂を抱く貴婦人』(しろてんをだくきふじん)の絵画が脳裏に浮かぶ。

現在、パトリツィアは彼女の資産管理を手伝ってくれる協力者に囲まれ、ペットのオウムと白い犬と一緒にミラノで静かに暮らしている。
私の夫がお茶(カフェ)を出していた彼女の母親は亡くなった。
パトリツィアの母親は、マウリツィオ・グッチの新しい再婚相手であったパオラ・ビアンキと殺人現場のポーターをしていて2発撃たれて負傷したジュゼッペ・オノラトの2人に対し、絶対に慰謝料を支払いたくはなかった。
しかし、母親が亡くなったのを機に、パトリツィアは今、慰謝料を支払いたいという意思をテレビで語った。

2人の娘たちアレッサンドラとアレーグラは、もはや彼女とは何も関わりたくないと、一切の関係を断ち切っている、彼女は事実上一人になった。

「今の望みは?」と言う質問に、パトリツィアは、「私は、普通の一般人女性としてこれからの人生は生きて行きたい。そして、再び燃え上がるような恋がしたい」と答えた。

| リドリー・スコット監督の新作映画「グッチ」

グッチ一族の崩壊とスキャンダラスなマウリツィオ・グッチ暗殺事件の黒幕だったマウリツィオの元妻、パトリツィア・レッジャーニに焦点を当て、この実話を元に映画化される事になった。
 製作は「007」のシリーズなどで知られる映画会社、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)で昨年4月に映画化権を獲得した。
「エイリアン」や「ブレードランナー」を手掛けたリドリー・スコット監督がメガホンを取る。

キャストも豪華で、アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、ジャレッド・レト、アダム・ドライバー、そしてパトリツィア・レッジャーニ役を演じるのが、レディー・ガガである。
全米公開予定日は2021年11月24日のこの映画の撮影は、先月よりイタリアで開始されている。リドリー・スコット監督は、「この物語は本当に信じられない、犯罪のストーリー以上にテレビシリーズのような脚本に似ている」と言う。

そんな、自分の半生を描いた実話の犯罪ストーリーを映画化にされてどう思うのか?という質問を当の本人のレディー・グッチとして知られるパトリツィア・レジアーニにインタビューをした時の映像が、毎週月曜日の午後に放送中のストーリアイタリアの番組で紹介された。

本人登場、映画化されることについて、


夫のマウリツィオ・グッチ殺害の扇動者で有罪判決を受けたレディー・グッチとして知られるパトリツィア・レジアーニがこの映画化についてを語った。イタリア国営放送RAI1より

レディー・ガガが演じることは良いが、映画化について、私は良い気分ではないし嬉しくもない。まず、私には娘が2人いる。彼女たちの父親についてを触れられる事によって彼女たちが傷つき支障が生じるようであれば、映画化については絶対に喜んで賛同はできない。良いとは思わないと不快感を示し、現在の心境を語った。

娘たちとはお金の事で裁判沙汰になりもめたことも付け加えている。

| 2人の娘、アレッサンドラとアレーグラ・グッチと母親パトリツィア・レッジャーニの間で関係悪化

パトリツィア・レッジャーニとマウリツィオ・グッチの娘であるアレグラとアレッサンドラは、母親とのすべての関係を断ち切り、さらに母親と法廷闘争を繰り広げた。
彼女らの父親の財産の唯一の相続人である彼女たちは、父親を殺した母親のパトリツィア・レッジャーニの年金を支払わなければならないという問題が起こったからだ。

釈放されたその1年後に、彼女は離婚違約金として支払うと約束された年間100万スイスフラン(約1億2300万円相当)をグッチ社から支払ってもらう事になった。この金額は、1993年に署名された契約によるものであり正当に受け取る権利があるとパトリツィアは主張した。
裁判所はまた、彼女の刑務所滞在に対する延滞費の支払いをも定めていた。それは 1,700万ユーロ以上(約22億円相当)になるというが、それを支払わなければならないのは、父親の財産の唯一の相続人である2人の娘、アレッサンドラ・グッチとアレーグラ・グッチである。

ミラノ控訴裁判所によって、当時マウリツィオとパトリツィアの間で合意に至り締結された内容は有効であると見なされた。
しかし、娘らは離婚後の1993年12月24日にマウリツィオとパトリツィアが署名した合意に異議を唱えた。
その文書の中で、裁判官は、
「パトリツィア・レッジャーニの利益の保護をマウリツィオ・グッチが亡くなった後の時代と相関させ考慮した結果、当事者同士の願望を互いに受け入れ、疑いの余地がない話し合いが充分になされた結果の締結であったと見てとれる。離婚手当に取って代わったこの遺族年金手当は、元配偶者がパトリツィア・レッジャーニの扶養手当の改訂を要求するリスクを回避し、債務者が死亡した場合もそれ自体は保護されている」とし、最高裁判所は、母親に年金を支払わなければならないと判決を下した。

娘たちアレーグラとアレッサンドラは、私たちの父マウリツィオ・グッチを殺したのは彼女だとすぐに反論したが、判決結果は何も覆らなかった。

パトリツィア・レジアーニは過去に娘たちに合意を求め、
彼女は、サンモリッツの別荘「L'oiseau bleu」の維持費と使用料と契約した年間100万スイスフラン(約1億2300万円相当)の離婚違約金を放棄することを引き換えにすることを提案している。
最愛の帆船「クレオール号」呪われた船と言われた、彼女自身が元夫に購入させた3本マストの船もゲットしている。母は強かである。娘たちが太刀打ちできるような相手ではない。

さて、そんなリドリー・スコット監督の映画「グッチ」の撮影は、いよいよ来週からミラノに移る。
1995年3月27日に殺人現場となったミラノ。コルソヴェネツィアでそれは起こったので、重要な撮影場所になる。
ミラノ市の自治体に撮影許可を得て、3月10日と11日にミラノの中心地のいくつかの通りに映画のセットが組まれる予定である。
3月10日は、フェスタデルペルドーノ通り、3月11日にスカラ広場、デル・ジェズ通り、サントスピリト通り。そして3月20日にマリーナ通りでの撮影が予定されている。

長期間レディーガガ は撮影の為にイタリアに滞在している。そんな中に、起こったレディーガガの愛犬たちフレンチブルドッグが誘拐に遭ったというニュースも世界中で報道された。

そのご、コージさんとグスタフくんは無事に保護されたのだろうか。戻ってきたのだろうか気になる。

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著者プロフィール
ヴィズマーラ恵子

イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie

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