タリバンとは何者か、なぜ恐れられるのか

2021年8月20日(金)18時43分
スー・キム

<20年ぶりにアフガニスタンの実権を掌握したタリバンとはいったい何者なのか、アフガニスタンはどうなるのか>

アフガニスタンでは、イスラム原理主義組織タリバンが全権を掌握。国の将来を不安視する声が高まり、大勢のアフガニスタン人が、なんとか国外に脱出しようと試みている。

タリバンは1990年代後半、独自の厳格なシャリーア(イスラム法)解釈に沿って、アフガニスタンを支配していた。2001年に米軍がアフガニスタンに侵攻したことで権力の座を追われたが、その米軍の撤退完了が8月末に迫るなか、タリバンは各地で攻勢を強め、8月15日には首都カブールを制圧。再び政権を握ることが、ほぼ確実となった。

タリバンのザビフラ・ムジャヒド報道官は8月17日に開いた記者会見の中で、自分たちに反対してきた全てに恩赦を与えると宣言し、タリバンの新たな統治下においては、女性の権利も尊重していくとも述べた(ただしイスラム法の範囲内で)。

タリバンとはいったい何者なのか。なぜこれほど恐れられるのか。その歴史と最新状況について、以下に詳しく説明していく。

タリバンの起源

アフガニスタンの公用語であるパシュトゥー語で「学生たち」を意味するタリバンは、1979~89年によるソ連のアフガニスタン侵攻に抵抗したムジャヒディン(イスラム・ゲリラ組織の戦士)によって形成された。カンダハル州のイマーム(イスラム教導師)だったムハマド・オマルが1994年にタリバンを創設し、米CIAとパキスタンの情報機関である軍情報統合局(ISI)が、同組織を密かに支援していた。

その後、パキスタンのマドラサ(イスラム神学校)で学んだパシュトゥン人の若者たちが、タリバンに参加した。パシュトゥン人は、アフガニスタンの南部と東部で多数派を占める民族であり、パキスタンの北部と西部における主要民族でもある。

タリバンはアフガニスタン南部を拠点とし、同地域で影響力を拡大していった。米シンクタンクの外交問題評議会はタリバンについて、ソ連軍の撤退後、1992年〜96年にかけて対立する複数のムジャヒディン組織が争いを繰り広げていたなかで、アフガニスタンに安定をもたらすという約束を掲げて、国民の支持を獲得していったと説明している。

タリバンは、2001年9月11日の同時テロが起きるまで、長年にわたって国際テロ組織アルカイダをかくまっていた。米国家テロ対策センター(NCTC)によれば、タリバンはアルカイダが「テロリストを自由に補充し、訓練し、ほかの国々に配備できる」ようにするための拠点を提供していた。

2001年10月、アルカイダの撲滅を目指すアメリカ主導の有志連合軍が、アフガニスタンへの攻撃を開始。タリバンを権力の座から追放した。

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