恐るべき江沢民の【1996】7号文件──ウイグル「ジェノサイド」の原型

2021年5月3日(月)12時40分
遠藤誉(中国問題グローバル研究所所長)

3.民族融和あるいは文化交流や労働条件改善などを謳い文句にして、適齢期の男女を別々に(ほぼ強制的に)東海岸地域などに出稼ぎに行かせて分散させ、漢民族と結婚させること。

中発【1996】7号文件の結果が招いた新疆ウイグル自治区の経済成長

中国政府にとっての「安定」を維持することによって経済成長を遂げた新疆ウイグル自治区のGDPの推移を見てみよう。


中国国家統計局から拾い上げて筆者が作成

新疆ウイグル自治区の統計が1992年からしかないので、国家統計局のデータを拾って、中国全国のGDPの推移と比較してみた。単位は右側が全国のGDP値(赤)で、左側が新疆ウイグル自治区のGDP値(青)だ。桁が違うが推移の傾向はほぼ完全に一致しており、しかも2010年以降のGDP増加の勢い(線の傾き)が大きいので、中発【1996】7号文件は中国政府にとっては成功したと言えるのだろう。しかしそれがウイグル人に対する「ジェノサイド」の犠牲の上で達成されたことに注目しなければならない。

ウイグル「ジェノサイド」を後押しした日本

皮肉なことに、江沢民が1996年の第九次五ヵ年計画で中発【1996】7号文件を発布することができた背後には、天安門事件に対する西側の対中制裁を日本が解除しただけでなく、1992年に天皇陛下訪中を実現させたことに大きな理由がある。

日本の一連の中国へのエールがなかったら、中国経済は天安門事件で壊滅的打撃を受け、旧ソ連が崩壊したのと同じように中国共産党による一党支配体制もあの時点で崩壊したはずだ。しかし日本の中国に対する激しいエールは中国経済を元気づけ、2010年には中国のGDPは日本を抜くに至っている。

1996年は、江沢民が1993年に国家主席になってから初めての五ヵ年計画だった。その五ヵ年計画で2010年という長期目標を掲げることができたのは日本のお陰であり、それがあってこそ、中発【1996】7号文件を発布して新疆ウイグル自治区への強硬路線を実行する素地が出来上がっていたのである。

その意味で、日本こそがウイグル族への「ジェノサイド」の後押しをしたのだということができよう。この現実を日本は正視して猛省し、今後の対中政策に活かしていって欲しいと切望する。


※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

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[執筆者]遠藤 誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史  習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』(ビジネス社、3月22日出版)、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『激突!遠藤vs田原 日中と習近平国賓』、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』,『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『卡子(チャーズ) 中国建国の残火』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。

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