中国の弾圧で人権を踏みにじられるウイグル女性たち 悲惨な虐待の実態と、必死の抵抗
中国政府のウイグル政策をさまざまな角度から見てみると、家族から離され、寄宿学校に送られる幼児期から、結婚生活と老後まで、ウイグル人女性の人生があらゆる面で破壊されていることが分かる、とホジャは言う。死んだ後も女性は安らかに眠れない。ウイグル人その他の少数民族の墓地が掘り起こされ、遺骨が運び出された例もあるという。
ウイグル女性が闘える理由
このような抑圧に対して立ち上がり、反撃する力が、ウイグル人女性にあったのはなぜか。
弁護士のアサトによれば、いくつかの要因が考えられる。まずは、イスラム教徒が多数を占める他の社会に比べて、都会的なウイグル人の宗教意識は低い。だから、男女の関係はかなり対等だという。
「ウイグル人女性の立場は歴史的に男性と平等だった」とアサトは言う。「女性は家庭でも仕事場でも指導的な役割を果たしてきた。家庭では常に女性に発言権があり、母親はそれを次の世代に確実に伝えてきた」
また、多くの男性が刑務所や工場、その他の施設で拘束されているなか、ウイグルの女性たちは表に出て、家族のために戦わざるを得なくなった。「愛は、世界で最も強力な権威主義国家への抵抗に必要な勇気を与える」とアサトは言う。
女性が戦いに費やしたエネルギーは、家族や見知らぬ人からの励ましの形で戻ってくる。女性たちの抗議に触発された教師アスカルは、母親の死を知った19年の暗い日々に、自分の双子の娘に慰められた。眠れない夜が続くなかで書いた詩は、ウイグル人コミュニティーで共感を呼んだ。好意的な反応で、アスカルは自己実現の感覚を得ることができた。
この記事で取材した多くの女性にとって、新疆ウイグル弾圧の最も不安な側面は、政府が同化を加速させようとしていることだ。その観点からすると、ウイグルの言葉、文化、伝統を伝えることはそれだけで、政府への抵抗となる。
7歳の娘ウイグリエ・ウェリを学校に送る道すがら、ミフリグル・モサはウイグル文化の話をする。娘は鳩を「ウイグルの鳥」と呼び、家庭菜園で育ち、ジャムに加工されるバラを「ウイグルの花」と呼ぶ。でもモサが暮らす場所はノルウェー。新疆にいる家族とは3年以上前から連絡が取れない。家族の絆が切られ、二度と会えないかもしれないという不安に、娘たちは怯えている。
娘たちが受け継いだものの中には、別離の痛みと文化の表現から生まれる力の両方が含まれる。ウェリが一番幸せなのは日曜日のウイグル学校で歌い踊るときだ、とモサは言う。家族は数カ国語を話すが、自宅では誰もがウイグル語を使う。
「この子がこの言語を好きになり、きちんと学び、使えるようになってくれたらいい」とモサは言う。「私には無理でも、あの子にはいつか故郷の町に帰る機会があると思う。そのとき、あの子が自分のルーツの言語で語り合えたらいいな」
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