スウェーデンはユートピアなのか?──試練の中のスウェーデン(上)

2020年7月9日(木)17時30分
清水 謙(立教大学法学部助教) ※アステイオン92より転載

<福祉国家、環境、デザイン、または重税、優生思想、治安悪化......。北欧スウェーデンに対するイメージは極端に振れている。一つ一つは間違っていないものの、その全体的なイメージ像は実像からはかなりかけ離れていると清水謙・立教大学法学部助教は指摘する。論壇誌「アステイオン」92号は「世界を覆うまだら状の秩序」特集。同特集の論考「変わりゆく世界秩序のメルクマール――試練の中のスウェーデン」を3回に分けて全文転載する>

はじめに――イデオロギーとしてのスウェーデン?

二〇一八年は日本とスウェーデンが外交関係を樹立してちょうど一五〇年の節目の年であった。一八六七年に徳川幕府が最後に結んだ修好通商航海条約はデンマークとであったが、翌一八六八年に明治政府が最初に結んだ修好通商航海条約の相手国はスウェーデンであった。その意味で、近代日本の外交はスウェーデンとの対外関係から始まったといえる。以来、日本とスウェーデンは友好的な外交関係を構築し、経済的にも結びつきを強めてきた。

とはいえ、スウェーデンに対する評価は、極端なくらいに賛否両論にあふれるものであったといってよい。特に、その両極端なイメージは、福祉、ジェンダー、環境などといったトピックではとりわけ顕著である。これはネイション・ブランディングの裏と表の関係でもあるのだが、スウェーデンは高福祉でジェンダー平等が達成され、人種差別もない最先端の民主主義を確立した「ユートピア」のように持て囃される一方で、逆に高負担に苦しむ社会主義国家のような監視社会、あるいは深刻な社会問題を抱えて崩壊の危機に瀕した国というような「ディストピア」として嘲弄の対象ともなってきた。さらに近年では、治安の悪化が移民/難民を多く受け入れた代償であると強調される傾向も見られる。

確かにこれら個別のイメージは必ずしも間違っているわけではないのだが、俯瞰的に見れば、いずれの立場で論じるにしてもそこには実像としてのスウェーデンからは距離感がある。喩えるならば、一つ一つのパーツはよくとも、並べてみるとなんともちぐはぐな福笑いの顔のようなものである。目隠しになっているものは、多くの場合真相を解くのに必要不可欠なスウェーデン語を理解しないまま、しばしば思い込みによる実証を伴わない表面的な先入観にあるが、それでいてテンプレートに描かれた輪郭だけは鮮明である。それは「社会民主主義」としてのスウェーデンである。

議論を呼んだ最近の例でいえば、井手英策による『富山は日本のスウェーデン』が挙げられる。旧態依然とした表面的なスウェーデン理解から(そもそもスウェーデンのことを理解しているかも疑わしい)、スウェーデンを社会民主主義の代表とし、数値と印象だけで牽強付会に論じている箇所が多々見られる(井手英策『富山は日本のスウェーデン│変革する保守王国の謎を解く』集英社新書、二〇一八年)。

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