地下鉄サリン25年 オウムと麻原の「死」で日本は救われたか(森達也)

2020年3月20日(金)11時00分
森 達也(作家、映画監督)

Photograph by Hajime Kimura for Newsweek Japan

法廷での異常行動の意味

執行直後には、麗華のツイッターアカウントに多くの「おめでとう」「よかったね」などのコメントが寄せられた。このとき僕はパソコン画面を見ながら言葉を失った。なぜこれほど憎悪をむき出しにできるのか。

でも今は思う。これは憎悪ではない。ネットに匿名で書き込む彼らは遺族ではない。そして麗華はサリン事件の加害者でもない。これほどに憎悪する理由がない。もっと汚くてねじれた何かだ。この集合無意識的な何かは、地下鉄サリン事件が起き、(ウィンドウズ95が発売されて)ネット元年と呼ばれる1995年以降、急激に増殖した。

「今も私が何かツイートするたびに、『心があるなら家族も一緒に死ぬ』とか『おまえが遺族を忘れるな』みたいなレスポンスが来ます」

そこまで言ってから麗華は、「私はずっと元死刑囚の三女と扱われている」とつぶやく。「本当は実名や顔は出したくなかったけれど、父が(精神的な)病気であることを訴えたくて2015年に手記を出しました。でも父はその後に処刑され、目的が消えました。ならば自分の人生を歩かないといけないのに、私はずっと父の付属物として扱われている。三女と分かるたびに会社を解雇されます。もうすぐ37歳です。結婚もできない。恋人もいない。普通の人生を送りたいんです」

そう言って黙り込んだ麗華の顔を見つめながら思い出す。麻原を含めたオウム死刑囚13人が処刑される1カ月前、僕は有志たちと共に「オウム事件真相究明の会」を立ち上げた。会の理念は、「(心神喪失状態にあると思われる)麻原を治療して裁判のやり直しを行い、オウム事件の真相を究明すること」。多くの人にとって、この主張は唐突過ぎるかもしれない。でも僕には強い前提がある。

2004年2月27日、東京地裁104号法廷の傍聴席で、目の前の光景に僕は大きな衝撃を受けていた。被告席に座った麻原は、同じ動作の反復を最初から最後まで続けていた。頭をかき、唇をとがらせ、何かをもごもごとつぶやいてから口の辺りに手をやり、それからくしゃりと顔全体をゆがめる。その瞬間の表情は笑顔のようにも見えるし苦悶のようにも見える。順番や間隔は必ずしも規則的ではないし、頭ではなくあごや耳の後ろをかく場合もあるけれど、基本的にはこれらの動作をずっと反復している。つまり常同行動。精神障害を示す典型的な症例の1つだ。

ただし法廷でのこうした挙動が、死刑判決回避のための演技であるとの見立てもできる。でも昼の休廷時、地裁2階の廊下ですれ違った旧知の記者は、「午前と午後とでズボンが替わっていることなんてしょっちゅうですよ」と僕に言った。失禁・脱糞だ。だから今はオムツを当てられているという。もちろんそれだって演技でできないことはない。

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