東大ブランドはどのように作られ、そして進学格差を生むようになったか

2018年9月29日(土)11時20分
松野 弘(社会学者、大学未来総合研究所所長)

<江戸・明治に遡る「立身出世=東大」の神話は、現代社会の皮肉な格差を生み出してしまった>

かつて封建社会であった江戸時代には、幕府の儒学教育の場として昌平黌(しょうへいこう)があり、各藩にはそれに対応するものとして藩校が存在し、支配階級である武士の子弟(エリート層)はそこで教育を受けていた。それは士農工商という封建的な身分制度の上に立った教育であった。

明治維新が起きると、明治政府が欧米先進国に追いつくべく、近代国家を築くための中央集権国家の確立とその任務を担う人材育成のための高等教育の場として、帝国大学を1886年に旧加賀藩の江戸屋敷である本郷に設置した。

それから11年を経て1897年に京都にも帝国大学を設置することが決まり、本郷の帝国大学は東京帝国大学と名称を変更したが、トップ大学としての地位はますます確立されていくことになる。

明治維新以降、名目的には士農工商という封建的身分制度は廃止され、四民平等と近代民主主義的制度がつくられたが、一方では新たに、天皇・華族(公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という身分的貴族制度が1945年まで存在していた)・士族・平民という身分制度がつくられた。

当時、実業で成功した華族・士族らの富裕層は、最高の高等教育機関である東京帝国大学へ子弟を入学させ、国家官僚として育成したのであった。

他方、平民階層である一般庶民には東京帝国大学は高嶺の花で、大半は尋常小学校を卒業後、丁稚奉公に行き、貧しい家計を助けたのであった。しかし、一般庶民でも優秀な人材は地方の名士が郷土の発展のために、教育費(今でいう給付型奨学金)を投入し、いわゆる立身出世の道を歩ませ、高級官僚として活躍することを期待した。

地方の貧しい若者にとっては、東京帝国大学へ進学して、国家官僚になることが立身出世であった時代なのである。

下層階級も成功への鍵を得ることができるようになった

なぜ立身出世を求めるのか。いうまでもなく、学歴によって経済的報酬と高い社会的地位が得られるからだ。地方から上京し、苦学して第一高等学校等の官立の高等学校へ進学し、さらに東京帝国大学等の帝国大学へ進学する。卒業して官僚や財閥のエリート社員になることが人生成功の道だったのである。

ただし実態をみるとその道は険しく、18歳人口のわずかに0.1%程度が東京帝国大学をはじめとした帝国大学へ進学し、中央省庁や財閥企業に就職し、高い経済的報酬を得ていた。

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