シリアでも混乱を助長するだけだったサウジアラビアの中東政策

2017年11月28日(火)19時44分
青山弘之(東京外国語大学教授)

<シリア内戦でも、11月初めのレバノンのハリーリー首相辞任騒動でも、サウジアラビアの中東政策は、体面を保ち混乱を助長することはあっても、その正常化や安定化に積極的に貢献しているようには見えない>

シリア内戦が「政治的解決」を迎えようとしている。後押ししているのは言うまでもなくロシアだ。そのロシアが、トルコやイランとともに、シリア政府と反体制派の和解を目的とした「シリア諸国民大会」(シリア国民対話会合)の開催に向けて邁進するなか、「負け組」になることを避けようと、対応に腐心しているのがサウジアラビアである。

反体制派を支援したサウジアラビア

サウジアラビアは、米国、西欧諸国、トルコ、カタールとともに「シリアの友」を自称し、バッシャール・アサド政権の打倒をめざしてきた。同国はシリアに「アラブの春」が波及した直後の2011年秋、アラブ連盟におけるシリアの加盟資格停止や経済制裁発動を主導し、反体制派を支援した。サウジアラビアから供与された武器弾薬や資金は、イスラーム軍やイスラーム戦線といった武装集団だけでなく、アル=カーイダ系のシャーム解放委員会(旧シャームの民のヌスラ戦線)、シャーム自由人イスラーム運動、さらにはイスラーム国の手に渡った。また、シャーム解放委員会の幹部の一人アブドゥッラー・ムハイスィニーら多くのサウジアラビア人過激派が、シリアでの武装闘争やテロを繰り返した。

2015年1月に国王に即位したサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズは、トルコとの連携を強め、アル=カーイダ系組織を含む武装集団を糾合しようとした。こうしたなかで結成されたファトフ軍は、同年3月にイドリブ県のほぼ全域を制圧し、またアレッポ・ファトフ軍やアレッポ軍といった武装連合体は、アレッポ市東部地区やアレッポ県西部でシリア軍に激しく抵抗した。

その一方で、サウジアラビアは、和平に向けた国連主催のジュネーブ会議に参加する反体制派の統合に尽力した。2015年12月、シリア国民連合、民主的変革諸勢力国民調整委員会、イスラーム軍、シャーム自由人イスラーム運動(その後脱会)などを首都リヤドに招待し、ジュネーブ会議への反体制派代表団の派遣とその人選を目的とする最高交渉委員会を結成させた。この組織は、ジュネーブ会議に参加するもっとも主要な反体制派とみなされ、2017年2月のジュネーブ会議(ジュネーブ4会議)以降はリヤド・プラットフォームの名で知られることになった。

ロシアの空爆でシリア政府の優位が決定的に

ところで、政治的解決、すなわちシリア人どうしの対話を通じた政治移行は、シリア内戦のほぼすべての当事者から支持されてきた。それは、2012年6月にジュネーブ会議(ジュネーブ1会議)を起点とし、2015年12月に採択された国連安保理決議第2254号によって具体的な内容を与えられた。

その骨子は、(1)反体制派をテロ組織と「合法的な反体制派」に峻別し、「テロとの戦い」によって前者を根絶する、(2)「合法的な反体制派」とシリア政府を停戦させ、両者の総意のもと、移行期政府を樹立し、シリア将来像を確定する、(3)包囲下にある反体制派支配地域に人道支援を行う、(4)米国とロシアを共同議長国とするISSG(国際シリア支援グループ)がこれらを後援する、という4点に要約できる。

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