量子コンピューターを誰でも使える、そんな時代はもう始まっている

2021年2月9日(火)06時45分
クリストファー・バーンハート(フェアフィールド大学数学教授)

<重要なのは、現在のコンピューターのように身近なマシンになるかどうか。実は既にIBMが小さな量子コンピューターを無料で公開している。また、量子回路の設計だけなら高校レベルの数学で十分。人々の生活を一変させるような素晴らしい用途は、これから生まれてくるだろう>

(本誌「いま知っておきたい 量子コンピューター」特集より)

その昔コンピューターは科学者や訓練された専門家だけが扱う大掛かりな機械で、普通の人は触ることすらできなかった。それが一変したのは1970年代後半だ。

コンピューターははるかに小型になり演算能力も上がったが、それ以上に「誰が、どこで」使うかが変わった。普通の人が自宅でコンピューターを使う時代が到来したのだ。

量子コンピューターは今、幼年期にある。アメリカではグーグル、IBM、NASAが初代のマシンを組み立て、実験を行っている。中国も量子技術の開発に巨額のマネーを投資している。

来月刊行される量子コンピューターの普及をテーマにした本『みんなのための量子コンピューター』の著者として、私は確信している。量子コンピューターも従来型の古典コンピューターと同様、まずはマニアたちが自宅でいじるようになるだろう。しかも、その日はそう遠くない。

2進法を採用した古典コンピューターが誕生したのは1950年代。初期のマシンは大型で不具合も多く、今の基準で言えば、特にパワフルでもなかった。もともと水素爆弾の開発のような大きな問題を解決するために設計されたのだ。

当時はそれがコンピューターの得意分野であり、従って量産されて一般家庭に普及することはない、と考えられていた。

ご存じのとおり、それは全くの見当違いだった。1964年にジョン・ケメニーとトマス・カーツが初心者向けのプログラミング言語BASICを開発。おかげで高度な知識を持つ技術者だけでなく、コンピューターに興味がある人なら誰でもプログラムを作成できるようになった。

こうした流れの中で1970年代後半にはホームコンピューターが登場。マニアが購入し、自宅でせっせとプログラミングを試みた。初期のマシンはさほどパワフルではなく、できることも限られていたが、文字どおり飛ぶように売れた。

BASIC言語によるプログラミング DAVID FIRTH/WIKIMEDIA

量子回路の設計は意外と簡単

購入したマシンをいじっているうちに、ユーザーはもっと多くの機能、もっとパワフルな演算能力を求めるようになった。マイクロソフトとアップルの創業者たちは、ホームコンピューターには輝かしい未来があると見抜いていた。

今ではほぼ全てのアメリカ人がノートパソコンかタブレット端末、スマートフォン、あるいはその全てを持ち、SNSで人とつながったり、インターネットで調べ物や買い物をしたりしている。

1950年代にはコンピューターのこうした用途は想像もできなかったし、それができたら便利だと考える人もいなかった。新しいツールが普及したことで、新しい用途、新しい利便性が生まれたのだ。

古典コンピューターが行う計算は、人間が行う計算をベースにしている。コンピューターはあらゆる計算を最も基本的な記数法である0と1の2進法で行う。

データの基本単位である「ビット」という言葉は「バイナリー」(2進法)と「デジット」(数字)を合わせた造語。電流が流れているときは1、切れているときは0とすれば、簡単に回路を設計できる。

一方、量子コンピューターが行う計算はいわば宇宙が行う計算に基づいている。量子計算の特徴は量子力学の成果である2つの新しい概念が加わることだ。

古典コンピューターのビットに相当する量子コンピューターの基本単位は「量子ビット」と呼ばれる。量子計算も古典計算も、結果がいくつかのビットで示される点は同じだ。

違いは計算のプロセスにある。量子ビットを扱えば、ビットではできない操作が可能になるのだ。

量子ビットは「重ね合わせ」および「量子もつれ」と呼ばれる状態にできる。この2つは量子力学の概念で、大半の人にはなじみがないが、ざっくり言えば重ね合わせとは0でもあり1でもあるような状態になれること。量子もつれとは、複数の量子ビットの相互関係のことだ。(本誌「いま知っておきたい 量子コンピューター」特集24ページ参照)

量子力学の理論を記述する数学は恐ろしく難解だ。量子コンピューターの設計にはその素養が必要で、おいそれとは手が出ない。だが量子計算を理解し、量子回路を設計するだけなら高校レベルの数学で十分だ。

既にIBMがクラウドで公開

今のところ量子コンピューターは開発が始まったばかりで、大掛かりな装置であり、信頼性に問題がある上、さほどパワフルではない。

差し当たり何に使えるかと言えば、1つは暗号通信に大きな影響を与えそうだ。インターネットを流れる暗号化情報を解読できる可能性があり、既に量子サイバー攻撃に耐え得る新たな暗号化技術の開発に各国がしのぎを削っている。

さらに、医薬品の開発などにも威力を発揮しそうだ。古典コンピューターではシミュレーションできない複雑な化学反応もモデル化できると期待されている。

とはいえ、50年後に量子コンピューターがどう使われるかを占ってもあまり意味がない。それよりも重要なのは、誰もが使える身近なマシンになるかどうか、だ。

実は既にそれは少しだけ実現している。IBMは2016年にクラウド上の小さな量子コンピューターを公開した。インターネットに接続していれば、誰でもこのコンピューターを使って、量子回路を設計できる。

この量子コンピューターは無料で使える上、グラフィックを使用したインターフェースで操作も簡単。素人でもいろいろ試せる。

普及への流れは既に始まっているのだ。初期のホームコンピューターもそうだったが、量子コンピューターが人々の生活にどう役立つかはまだ分からない。だがマニアがいじって遊んでいるうちに、いろいろなアイデアが出てくるだろう。

それによって、今は想像もつかないような新しい可能性が生まれるはずだ。

Christopher Bernhardt, Professor of Mathematics, Fairfield University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

<2021年2月16日号「いま知っておきたい 量子コンピューター」特集より>

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