うつは外国語で治る? 言語は性格を変える

2020年10月13日(火)17時30分
平野卿子(ドイツ語翻訳家)

<村上春樹は、関西弁から標準語へ言葉を変えなければ作家にならなかったと述べている。言語が人の思考方法や性格に与える影響とは?>


錦織の会見は最初に英語の質問、そして日本語となる。(......) 英語は「ほとんどすべて支配した」と最大級の自画自賛。これが本音だろう。日本語になると、日本人らしい謙虚さが顔を出した。「相手も本調子じゃなくミスも多かったので、もっとレベルを上げていける」(朝日新聞、2015年3月30日 朝刊)

錦織選手は二重人格なのか? いや、そうではない。錦織選手に限らず、外国語を話すと性格が変わるという人は多い。

わたし自身、かつてヨーロッパに住んでいたとき、ドイツ語やイタリア語、さらに英語を話す場合は、それぞれちょっと違う自分になったものだ。

イタリア語を話すと声やジェスチャーが大きくなり、なぜか気持ちが弾んで、いくぶんオーバーな表現になる。

そんなイタリアが肌に合わずドイツに行ったにもかかわらず、話すのはドイツ語よりイタリア語のほうが楽しかった。母音中心のイタリア語のもつ独特のリズム感と軽やかさが、構文が長く子音の多いドイツ語にはないからだ。

ドイツ語を話すときはすこし声が低くなった。日本語のときよりも落ち着いて発言し、断言することが多くなる。この落ち着いて発言するという背景には、重要な要素が文末に来るというドイツ語文法の特徴があるような気がする(これをドイツ人の誠実さと責任感の表れだと自画自賛しているドイツ人もいた)。

他方、英語を話すときには、これという感情が起こらなかった。それは相手がネイティブでないことが多かったからだろう。アメリカ人と英語で話すとテンションが上がり、ポジティブな性格に変わるという人が多いが、その後アメリカで暮らしたときには、わたしも同じような経験をした。

非ネイティブよりもネイティブと話すときのほうが、その言語から受ける影響は大きいのではないだろうか。

しかし、興味深いのは、外国語を話していると日本語では言わないようなユーモアが口をついて出ることだ。いつもと違う自分を実感する瞬間である。

「言語が性格を変える」とは、言語にはそれぞれ性格があるということでもある。

ゲーテの小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』に出てくる、「恋人がフランス語で手紙をくれたので、わたしと別れたがっていることに気づいた」と言うドイツ人女性の話は、その意味で大変興味深い。別れや裏切りがからんでいればなおのこと、色恋沙汰にはドイツ語よりフランス語のほうが向いているであろうことは、フランス語のできないわたしにも容易に想像がつく。

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