私は写真家、「女性写真家」と呼ばれるのも好きじゃない、と彼女は言った

2019年5月25日(土)20時05分
Q.サカマキ

<インドの写真家アヴァニ・ラエは、いくつかの写真スタイルを持つが、どう分類されたいかと聞くと「単に写真家」と答える。性別で区分けされるのも好まないが、彼女の優れた点は、女性と社会との関係を逆手に取った作品も発表していることだ>

今回取り上げるInstagramフォトグラファーは、インドのボンベイ在住のアヴァニ・ラエだ。映像作家でもある27歳の女性である。

ここ最近の写真界は、とりわけドキュメンタリーの分野において、欧米を中心とする先進国だけでなく第三世界と言われてきた国々でも、才能ある女性の進出が著しくなってきている。むしろ男たちの目に見えないものを潜在的に嗅ぎとる能力が備わっているだけに、より優れたものを生み出す可能性がある。ラエもそうした1人だ。

ラエはいくつかの写真スタイルを持っている。1つは、社会問題にフォーカスしたフォトドキュメンタリーである。オーソドックスなものだけでなく、そのフレーミングや視点は、彼女の父であり、インド写真界の父とも言われるラグー・ラエ(Raghu Rai)の影響を多大に受けている。近年、娘のラエは、父ラグー・ラエの伝記ドキュメンタリー映画を、父と娘の関係もテーマに入れながら製作している。

もう1つは、ファッション的な要素を十二分に持つポートレート、あるいはファインアートのスタイルだ。こちらは、父親の写真とはかなり違っている。

この点に触れ、自身の写真をどう分類されたいのかと問うと彼女は「単に写真家、自分ではそう思っている」と答えた。人は人生においていろいろなことを経験する。スタジオ写真だけで、あるいはストリートフォトグラフィーだけで、あるいは依頼を受けたアサイメントの写真だけで終わる人生なんてあり得ない、と。

こうした写真哲学は、彼女の作品にもしばしば現れている。例えば2枚目の写真(下)は、人の肌、スキントーンに対して、ステレオタイプ的なものを作りがちなファッション写真界や広告界に対するメッセージを含ませている。ラエにとってのスキントーンは、それが白黒写真であろうがカラー写真であろうが、単純に自分が生み出そうとしているイメージの色合いにすぎない。

この場合、写真の2人のモデルは、1人はインド人であり、もう1人はベラルーシの白人女性であるが、それを意図的に1人でもあるかのように重なり合わせているのである。既成のさまざまなステレオタイプ、差異的なもののラインをわざと曖昧にしようとしているのだ。

「女性写真家」と呼ばれることもラエは好まない。写真家という意味においては、本来、男性とか女性とかのジェンダー(性別)は関係ないはずだからだという。また、通常その言葉が語られるとき、平等という概念が欠けがちだからだろう。男性の写真家の場合、わざわざ「男性写真家」と冠を付けることはまずない。

だが、とりわけインドでは、性別で人を区分けしがちだ。そうした社会文化の仕組みの中で、女性の写真家ならできること、あるいはできないことを決めようとする。私たちはこのようなこと――この不条理――を知っておかなければならない、とも彼女は語る。

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