若者から正しさを奪う大人。レッドブル「くたばれ正論」広告について

2021年1月30日(土)11時35分
望月優大

<刺激の強い言葉を並べた広告が、物議を醸した。だがこの広告の大きな問題は、その「正論」対「自分」という対比にある。これは偽りの対比だ。こういうせりふを上から目線の命令口調で言ってくる大人には気を付けたほうがいい>

成人の日に飲料メーカーのレッドブルが掲載した「くたばれ、正論。」という新聞広告が話題になっていた。

肯定的な反応もある一方、今はむしろ正しさが必要な時代だ、正論の軽視がデマや陰謀論の跋扈(ばっこ)にもつながる、など批判的な意見もあった。

「くたばれ、正論。この世の行き過ぎた正しさが、君の美しいカドを丸く削ろうとする。正しすぎることからは、何も生まれない。常識を積み重ねても、所詮それは常識以外の何物でもないから。自分の感受性を守れ。自分の衝動を守れ。自分の中のバカを守れ。本能が面白いと感じる方へ動くんだ。まっすぐ、愚直に、大きくいこう。」

新成人の若者を鼓舞する刺激の強い言葉の数々。何度か読むと、全体が「正論」対「自分」という対比を軸に構成されていることが見えてくる。「自分」という言葉は何度も繰り返し登場しており(最多の3回)、「正しさ」と並んでこの短い文章の隠れた主役となっているのだ。

打ち出されているのは、①他者や世の中という「外」から示される正しさや常識に、②自分の「中」に存在する感受性や衝動が抑圧されているという構図だ。正論は自分を不当に押さえ付けるから窮屈だ、ならば捨て去ってしまえという図式である。

子供と大人を半分ずつくらいの35年間生きてきた自分の意見を率直に言っておこう。こういうせりふを上から目線の命令口調で言ってくる大人には気を付けたほうがいい。

なぜなら、これは偽りの対比だからだ。他者や社会が人を不自由にすることはもちろんあるが、他者の排除が人を自由にするわけではない。ただ、独りぼっちになるだけである。

むしろ知っておいてほしいのは、家族や友人など「外」との関係を絶たせ、自らの「中」に閉じた孤立へと導くのが典型的なカルトの操縦手法だということだ。社会の常識を疑え。自分だけを信じろ。でもそれだって他者からの命令だという当たり前の事実を忘れないでほしい。

この会社に行け。早く結婚しろ。確かに既存の規範を無遠慮に押し付ける呪いの言葉はなくならない。家でも学校でもメディアでも。だからこそそれらの干渉に「正論」とラベルを貼り、ひとまとめに拒絶してしまいたくなる気持ちもよく分かる。

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