焦点:ブレクジット問う国民投票とEU改革、英首相の長い道のり
[ブリュッセル 23日 ロイター] - キャメロン英首相が言うところの「改革された」欧州連合(EU)に残留すべきかどうかを問う英国の国民投票は、実現に近づくまでに数年を要した。そして国民投票にたどり着くまでの過程は、現在のEUがどのように機能しているかを明確に示している。
EU首脳会議(サミット)は19日、英国のEU残留を全会一致で支持。移民労働者の社会保障制限や英金融街シティの保護などをめぐり英国に特例を認めた。キャメロン首相は19日の合意が英国にEU内での「特別な地位」を与えたとし、20日には国民投票を6月23日に実施すると明らかにした。
欧州委員会のユンケル委員長にとっては、重要な節目は2014年11月に豪ブリスベーンで開催された20カ国・地域(G20)サミットにあった。委員長はキャメロン首相に対し、欧州の他国が賛成票を投じないような協定改正を求めるのではなく、将来的に協定見直しを実施するという拘束力のある合意を目指すよう伝えた。
「ブレグジット(英国のEU離脱)」回避をめぐる動きは、EUに対する失望が、EU改革への圧力を高めると同時に、EU改革が困難になっていることを示している。また、EUの舞台裏での法的なフレキシビリティーや、英国をEUに残留させるというEU指導者の前向きな、もしくは必死の姿勢を示してもいる。
キャメロン首相は2013年に国民投票の実施を約束した。
2014年5月の欧州議会選挙では、反移民を唱えるフランスの国民戦線(FN)や英国独立党(UKIP)が躍進。2015年の再選を目指す中、キャメロン首相にとっては公約履行の圧力が高まる結果となった。
<変化したキャメロン首相の交渉姿勢>
EUサミットでの合意成立は、EUの法務担当者のフレキシビリティー、「ブレクジット」がEUを深い危機に追いやるというEU指導者の懸念、そしてサミットの場でのキャメロン首相の対外交渉姿勢の変化、という3つの点を受けた結果だったことを示している。
キャメロン首相は2011年末のサミットでは、ユーロ危機救済案で拒否権を発動し他のEU加盟国の指導者から強い反発を受けた。しかし昨年末のサミットでは理解を得ることに成功し、EU規定の改正や移民抑制案に向けて前進するかたちとなった。
あるEU高官は「2011年12月の時点では決裂に非常に近い状況で、そこから離脱方向に傾くことは容易だった」と指摘。「キャメロン首相のEUに対する考え方はそれほど変わっていないが、他国との交渉方法は変化した」と述べた。
2014年6月にユンケル氏の欧州委員長選出が決まった際、同氏選出に反対していたキャメロン首相は一時的に孤立した。しかし2人はすぐに対立を解消し、ユンケル氏は銀行分野の重要ポストにキャメロン首相に近いジョナサン・ヒル氏を起用。「これによって(ユンケル氏とキャメロン首相の)同盟関係が結ばれた。キャメロン首相は、欧州委員会と対立すれば(他の加盟国である)27カ国の支持は得られないということを理解している」と、あるEU高官は述べた。
<鍵となった2015年5月の英総選挙>
キャメロン首相が2015年5月の総選挙で敗北していれば国民投票は実施されなかった可能性もある。しかし与党保守党は単独過半数を獲得し、自身にとっても驚きであったかもしれないが、キャメロン首相は公約に掲げた全ての項目を要求することが可能になった。
総選挙の結果を受けて英国とEUはそれぞれ即座に交渉チームをまとめた。キャメロン首相は昨年11月10日、EUのトゥスク大統領にEU改革に向けた要求を提示。要求自体は驚きではなかったものの、自由な移動の制限の受け入れは難しいとみられた。
昨年12月17─18日のサミットでも、英国で就労したEU市民は4年間英国に滞在しなければ手当ての対象にならないなどとする英国の提案が受け入れられるかどうかは不透明だった。しかしキャメロン首相は会食の場で、自身が直面するジレンマの解消への協力をEU指導者に求め、支持獲得に成功。会食への出席者の1人は「(キャメロン首相は)これが英国内の問題だけではなく、欧州の将来に関わる問題だということで納得させた」と述べた。
「ブレクジット」を問う国民投票の6月実施が決定した現在、EU当局がキャメロン首相を支援できる方法は残っていない。欧州委員会のユンケル委員長は「(今では)私の懸念ではなく、彼(キャメロン首相)の問題だ」と述べた。
(Alastair Macdonald記者 翻訳:本田ももこ 編集:加藤京子)
- 1/1