「報道が目を光らせなければ、国家は国民を虐げる」──映画『コレクティブ 国家の嘘』の教訓
映画の後半は、このヴォイクレスク大臣が主人公となる。彼はまず、ルーマニアの医療問題を調査する。製薬会社との癒着は氷山の一角にすぎなかった。行政、病院、学会、あらゆるところに腐敗が蔓延しており、ヴォクレスクは絶句してしまう。問題が本当に深刻なとき、真面目に問題解決を図ろうとする者は途方に暮れるしかない、という状況はよくあるが、彼もそうした状況に陥ってしまう。
ヴォクレスクには、大臣の権力をフルに使って、あらゆる決定を独裁的に行うという選択肢もあったかもしれない。しかし良くも悪くも、彼の善良さがそれを許さない。彼は手続き的正義に固執する。そのやり方は、これまで問題を追求してきたジャーナリストたちからみれば優柔不断に受け止められ、鋭く批判されることもある。
それでも、医師カメリア・ロイウなどの内部告発を受けて、ヴォクレスクは改革を進めようとする。しかしここで彼は、社会民主党の政治家や医者など利権と汚職で甘い汁を吸ってきたものたちの妨害にあってしまう。
ヴォクレスクの試みがどうなるか。結末は歴史的事実なので言ってしまってよいだろう。チョロシュ政権は選挙で敗れ、引き続き社会民主党が勝利する。再び利権と汚職に充ちた内閣の誕生を許してしまったのだ。ヴォイクレスクは、仕事をやり残したまま閣僚を辞任することになる。
腐敗政治を打破することの難しさ
映画パンフレットによれば、ルーマニアの医療界はまだまだ問題だらけであり、ヴォイクレスクの改革は道半ばに終わってしまったようだ。映画の教訓ははっきりしている。どんなに政治や業界が腐りきっており、一部の善良な者の力のよってその腐敗が暴かれ、また改革を試みる者が立ち上がっても、有権者がそのチャンスを無駄にして、腐敗した政権を選び続けるなら、何も変わらないのだ。選挙結果が明らかになった瞬間、ヴォイクレスクの父親は吐き捨てるように彼に伝える。「ルーマニアは、あと30年は変わることはないだろう」。
それでも、腐敗は追及しなければならない。報道の役割は重要だろう。ジャーナリストのカタリン・トロンタンは言う。「報道が目を光らせなければ、国家は国民を虐げる」。しかし権力は、報道をも支配しようとする。一度は腐敗した政権を転覆できたルーマニア市民が、選挙で再び腐敗政党を勝たせてしまったのはなぜか。
メディアと政治の問題は、この映画の中で具体的に追及されているわけではない。しかしこの映画の主題のひとつが、ジャーナリズムの使命であることも確かだろう。病院で患者がひどい扱いを受けていることをスクープする記者。一方で、病院の公式声明を鵜呑みにして保健相を追及する記者。様々な記者の在り方が描かれている。