中国の「国策」映画を日本人が無視できない訳
今週のコラムニスト:李小牧
〔11月12日号掲載〕
日本の映画ファンや欧米のジャーナリストから最近、酷評されている中国映画があるのをご存じだろうか。
中国映画といえば、かつては陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『黄土地(黄色い大地)』や張芸謀(チャン・イーモウ)の『紅高粱(紅いコーリャン)』、最近でも賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の『三峡好人(長江哀歌)』などが海外の映画賞を受賞している。どれも中国の現実を直視しながら、映画としての楽しさと芸術性を兼ね備えた実力派映画で、海外の批評家から高い評価を受けてきた。
先日の東京国際映画祭で上演された『オルドス警察日記』は、中国の辺境である内モンゴル自治区オルドス市で、激務の末に41歳の若さで急死した実在の警察署長の生きざまを描いた作品だ。主演の王景春(ワン・チンチュン)は、同映画祭で最優秀男優賞を勝ち取った。これが「中国の警察を美化するプロパガンダ映画」と批判されているのだ。
映画の舞台になったオルドスは石炭が豊富に採れるため豊かになり、中国のバブル経済を象徴する街として知られる。最近はバブルがはじけて「鬼城(ゴーストタウン)」化しているが、この矛盾だらけの街で起きるさまざまな問題に、女性監督の寧瀛(ニン・イン)は警察署長の人生を通じて切り込んでいる。
確かに中国の警察といえば、ネットでのちょっとした冗談を理由に市民を「国家政権転覆扇動罪」で逮捕するコワモテの側面ばかりが伝えられている。いわば良識派の敵だ。ただ日本の映画ファンや欧米のジャーナリストは気付かなかったかもしれないが、この映画が取り上げた問題はどれも、中国映画がこれまで取り上げることができなかったタブーである。
例えば、賃金のあまりの安さに怒った出稼ぎ農民たちのストライキやデモという共産党政権にとっての「恥部」を遠慮なく描き出している。年間30万件の暴動が中国では起きているが、国内のテレビや映画でその現実が描かれることはまったくない。署長が十分な治療を受けられず死んだことは医療問題を、そもそもこんなまともな警察署長がたった1人しかいないという事実は、中国の警察が抱える暗闇を雄弁に物語っている。
■「理想」だけでは変わらない国
この映画には地元の共産党や警察組織が協賛している。そういう意味では、外見上はプロパガンダにしか見えないだろう。映画には莫大なお金が掛かる。情熱や理想、才能だけでは完成できない。監督の寧瀛は中国政府の力を利用しながら、自分の撮りたい映画を完成させたのだ。日々、頭の固い共産党との「討価還価(タオチアホワンチア、駆け引き)」を繰り返している中国人にとって、妥協は必ずしも悪ではない。理想だけで中国の現実は前に進まない。
この映画は、日本と日本人にとって「ただのプロパガンダ」と無視できる中身でもない。なぜならここで取り上げられたある問題をこのままま放置すれば、2020年に行われる東京オリンピックに必ず影を落とすからだ。
映画の舞台であるオルドスで豊富に採れる石炭は、この地域に深刻な環境汚染をもたらしている。冬にスチーム暖房の燃料として使われる石炭は、車の排ガスと並んでPM2・5の主な原因。オルドスはいわば「PM2・5の古里」だ。
内モンゴル自治区は毎年日本にやって来る黄砂の発生源でもある。黄砂に乗ったPM2・5に日本中が恐怖したのは、まだ今年のこと。この汚染物質が中国から今以上に日本に飛んでくることになれば、日本や東京のイメージダウンは避けられない。中国では環境問題が人権問題、労働問題、さらに民主化とも深く関わり、社会を不安定化させている。
この作品で、私は生まれて初めて同じ映画を2回見る体験をした。2回目も私の目は涙であふれた。もちろん、その涙は感動ゆえ。最近また発生したPM2・5が、海を越えて私のところに飛んできたからではない(笑)。
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