東京は五輪開催地になぜふさわしいか
今週のコラムニスト:スティーブン・ウォルシュ
[10月29日号掲載]
初秋になると、わが家は子供たちの学校や地元の運動会でスポーツ三昧になる。「体育の日」という祝日さえある。東京が20年のオリンピック開催地にふさわしい理由は経済や交通網、治安の良さだけではない。日本では、日常の中でスポーツが重視されているからでもある。
日本には伝統的なスポーツがたくさんあるが、「グローバル」なスポーツを独自に改良したものも少なくない。軟式テニスや駅伝、高校野球や高校サッカーなどは多くのファンを獲得し、競技人口も多い。メディアがスポーツ界の体罰などのニュースを大々的に取り上げること自体、日本人がアマチュアスポーツを重視していることの表れだ。
昨年ロンドンでオリンピックが開催された時期に家族と共に現地にいたが、街は完全に姿を変えていた。活気ある国際性、歴史遺産や芸術を誇る街なのに、ロンドンはいつも、どこかよそよそしく、陰気で、強欲な都市だと感じていた。しかしオリンピック期間中は、フレンドリーなお祭りの場に一変した。天気にさえ恵まれ、ロンドンにいることが信じられないくらいだった!
華々しい北京オリンピックの後に、ロンドンには近代オリンピックの華である巨大建築や開会式の演出で競うという選択肢はあり得なかった。準備期間中には、財政状態も悪くまとまりのない都市で、そんな一大イベントを開催できるかといぶかしむ声も上がっていたほどだ。
だがこうした期待感のなさこそがロンドンを成功に導いたのかもしれない。期待が小さければ失敗も小さいとばかりに、市民はゆったりとスポーツの祭典を楽しんだ。多くの市民ボランティアが観光案内を買って出て、祭りを盛り上げた。開会式の心温まるメッセージ「みんなのオリンピック」がすべてを物語っている。
日本の政治家や財界人が20年を政治的・経済的発展の好機とみる一方、五輪開催の長期的負担を心配する声も出そうだ。だが同様の心配があったロンドンは結局、黒字に終わった。開催費用は1兆3000億円だったが、1兆5000億円の経済効果が生まれたのだ。しかも子供の肥満が懸念されるなかでスポーツ人口が急上昇し、未来を担う子供の健康に貢献。パラリンピックの大成功は障害者の生活に目に見えない利益をもたらした。
ただ懸念もある。東京オリンピックが近づくにつれ、福島をはじめとする東北の被災地に国際的な注目が集まっていくだろう。政府がIOC(国際オリンピック委員会)の決定直前に汚染水問題に対策を打ち出したのは、住民のためというより外圧への対処のようにも思える。「状況はコントロールされている」という安倍晋三首相の発言もむなしい。
むしろパラリンピックの佐藤真海選手が被災者の立場から訴えたスピーチこそがIOCの決定に大きな影響を与えた。前回の招致失敗後に、東京の利便性が向上したわけではない。東北市民への世界の共感が有利に働いたのだ。
■世界に冠たるアマチュアリズム
ロンドン五輪も完璧だったわけではない。ある時、私は駅で大きな五輪マークを背景に家族写真を撮ろうとした。すると、IDバッジを着けたスーツ姿の職員が駆け付けて「許可なしに写真は撮るな」と怒鳴った。茫然自失! お祭りを楽しんでいたら、現代の商業オリンピックの壁にぶち当たったわけだ。
日本に戻って2カ月後、小学校の運動会の入り口にある手書きの看板の下で、体操着姿でほこりまみれになったわが子たちの素晴らしい写真を撮影した。近代オリンピック創始者クーベルタン男爵が「参加することに意義がある」という言葉で描いたオリンピック精神は毎年、日本中のアマチュアスポーツと学校の運動会によって支えられている。東京こそオリンピックにふさわしい。運動会の写真を見てそう確信している。
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