表参道はシャンゼリゼになれない
今週のコラムニスト:レジス・アルノー
〔6月25日号掲載〕
アナ・ウィンターといえば、現代ファッション界で最も有名な人物だ。米版ヴォーグの編集長であり、大ヒットした小説および映画『プラダを着た悪魔』のモデルになった人物だ。
ファッション業界の人間として、アナ・ウィンターは日本のことをよく知っている。日本人がどれくらい洗練されているか、世界のファッションがどれほど日本文化の影響を受けているかも理解している。だから2011年3月に東日本大震災や原子力発電所の事故の発生を知ったとき、彼女は愛するこの国のために自分は何をしたらいいだろうと考えた。
そして彼女は、東京の表参道でファッションショーを行うことを決意した。日本の復活を示すとともに東京と日本をたたえる世界的なイベントになるはずだった。ウィンターは有名で才能あふれるモデルやデザイナー、ブランドの経営者に電話をし、11年秋の実現を目指してショーの準備を始めた。
その頃の東京は、世界から見捨てられたような状態だった。表参道で働く人々はこの計画に大喜びした。石原慎太郎都知事(当時)もこのアイデアを高く評価した。だが問題が1つあった。警視庁だ。「忙しいからと、にべもなく拒絶された」と、ある関係者は言う。
結局、日本の人々を励ますとともに日本の対外イメージを高め、観光業の売り上げに貢献したはずのイベントは実現しなかった。今後も実現しないだろう。「アメリカの都市なら、警察はそんなケチくさいことは言わないと思う。表参道では、警察がイベント開催のハードルになっている」と、アメリカ帰りで表参道でショップを経営する人物は言う。
表参道は日本がいかに現代的でオープンであるかの象徴だ。大正時代に整備された表参道は、無秩序で狭い東京の都心部では珍しく、きちんとした設計に基づいて造られた大通りだ。ケヤキ並木は歩行者に涼しい影を落としている。ガイド本の多くは表参道を「日本のシャンゼリゼ」と紹介している。
■ホテルも映画館も造れない街
だが実は、表参道は日本の後進性の象徴でもある。そこがパリのシャンゼリゼとの違いだ。
シャンゼリゼは創造と商業の地だ。ショップや劇場、映画館に引き付けられ、たくさんの人々が昼夜を問わず訪れる。アーティストたちはその作品によってファッションブランドに影響を与え、ブランドの従業員や客はシャンゼリゼのショーや映画を見に行く。アートとビジネスの緩い結び付きがシャンゼリゼの独自性を生み出しているのだ。
残念ながら、表参道は長いショッピングモールにすぎない。買い物客たちの単調な流れを邪魔するイベントといえば、冬の「セント・パトリックス・デイ・パレード東京」くらいのものだ。
表参道は、たぶん日本で最もばかげた法規制の対象になっている。映画館や劇場といった娯楽施設やホテルを造ることが禁じられており、深夜以降のバーの営業も認められていない。この規制は1964年の東京オリンピックを機に導入された。当局はオリンピックスタジアムの周辺にラブホテルができるのを恐れ、一帯を「文教地区」に指定したのだ。
この規制は現在も生きている。世界トップクラスの高級ホテルがアジアで最も名の知られた通りで営業できず、世界最高のアーティストやプロデューサーも舞台を上演することができない。それが可能なら毎年、国内外から洗練された客を呼び寄せることができたのに。
実際のところ、表参道はその個性ゆえに今も人々に愛されている。だが買い物客はいつか、バッグやシャツ以外のものも提供してくれる別の場所に行ってしまうだろう。日本が観光振興に本気で取り組むつもりなら、まずはこんな無意味な規制を撤廃するべきだ。
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