未来志向と伝統回帰が混ざり合う街の不思議
今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ
〔7月2日号掲載〕
ニューヨークやロンドン、パリといった世界の大都市を訪ねると、出会うのはたいていリベラルな人たちだ。でも東京は違う。どういう人と出くわすか予測が付かない。とても未来志向な人もいれば、過去にとらわれたままの人もいる。
東京は世界一リベラルな都市なのか、それとも世界一保守的な都市なのか。いや、その両方なのか!
先日、伝統的なスタイルの結婚披露宴に出席した際、私はある出席者と、とてもリベラルな会話を英語で交わした。日本企業はもっと世界に門戸を開き、変化を受け入れるべきだと、彼は熱弁した。私たちが話している間も、その部屋では堅苦しい敬語だらけのスピーチが続いていた。そして伝統的な披露宴に少し国際色を添えた外国人の私も、日本語で堅苦しい祝辞を述べることに。やはり東京のリベラルと保守の関係はややこしい。
アジアで、東京ほど外国人に居心地がいい街はたぶんない。と同時に、東京ほど外国人が奇妙な体験をする街もたぶんない。なにしろ、ある日は見知らぬ人から英語で突然話し掛けられたかと思うと、次の日には混んだ電車で自分の隣の席だけがポツンと空いていたりもする。
アメリカの場合、都会はリベラルで、田舎は保守的と、だいたい決まっている。なのに東京には、リベラルな面と保守的な面が同居しているように見える。
例えば、東京の女性はとても元気だ。教育レベルが高く、洗練されていて、強い意志を持っている。ところが、女性が企業で高い地位に上り詰めることが東京ほど難しい大都市も珍しい。私の目には、女性が東京をリベラルにし、男性が東京を保守的にしているように見える。
女性は海外に出てリベラルな発想を身に付け、男性は東京にとどまって会社で働き続け、保守的になっていくのか? それなら、結婚率の低さも納得がいく。
東京の住人は、男女を問わず新しいもの好きに見える。東京ほど多様な商品が売られていて、食事やレジャーの選択肢が多い街はない。その意味で、東京は世界有数のリベラルな都市と言えるだろう。
ところが、シャンパンに始まりひげ剃りに至るまで、外国からやって来る新製品はしばしば、日本の伝統を前面に押し出した宣伝の仕方をされる。CMの舞台が紅葉の寺だったり、着物姿の若い女性が登場したり。新しい経験の刺激を伝統の安心感で中和しようというのだろうか。未来に向けて一歩進むごとに、過去への郷愁が湧いてくるかのようだ。
猛烈な変化に対する東京の人たちの適応力には目を見張らされるが、その半面で社会の核を成す文化的価値観は何百年も変わっていないようにも思える。
■過去と未来のシーソーゲーム
不思議なのは、私の周囲には筋金入りの保守的な政治観の持ち主が1人もいないのに、選挙では右派の政治家がいつも当選することだ。東京の人たちは、表向きはリベラルに振る舞い、心の中では保守的な考え方を持っているのか?
東京で十数年暮らすうちに、私は何がリベラルで、何が保守的なのか、分からなくなってしまった!
同性愛者の権利を訴えるパレードがあり、進歩的な教育改革が行われている都市で、政治家が右派的な発言で物議を醸し、近隣諸国への反感に駆られた抗議デモが行われている。でも、そういう右派の人たちも、デモの帰りに韓国焼き肉や中華料理を食べるときがあるに違いない。
東京の住人は、過去へ引っ張られる強い力と、コスモポリタン的未来へ引っ張られる強い力の両方を感じている。
こうして過去と未来のシーソーゲームが繰り返されているからこそ、この街が風変わりで、面白いのかもしれない。変化を拒む保守的な一面を見ていることで、リベラルな私は東京の進歩的な一面を一層魅力的に感じるのだろう。
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