レバノン、壊される宗派共存の知恵
オバマ政権がシリア攻撃を主張したとき、中東専門家のほとんどがそれに反対した。その理由はただ外国の軍事介入がケシカラン、というだけではない。国際的関心が軍事介入や化学兵器問題ばかりに集中して、本質的な問題の解決が却って遠のくからだ。
その懸念は、残念ながら当たっている。軍事攻撃を実施するにしてもしないにしても、とりあえず化学兵器問題には国際社会が対処した、というアリバイが作られただけで、本来の問題であるシリア内戦自体には、一向に解決の方策は見出されていない。
最も深刻なのは、嫌な形の宗派対立が確実に広がっていることである。11月19日、シリアの隣国、レバノンのイラン大使館が爆破された。アルカーイダ系とされるスンナ派武装組織のアブドゥッラー・アッザーム旅団が犯行声明を出し、レバノンのシーア派組織ヒズブッラーがシリアから手を引くように、イランに警告したのだ。
シリア内戦が混迷している原因に、アサド政権をイランとヒズブッラーが支援し、反政府勢力をサウディアラビアやカタールが支援するという、シーア派イラン対スンナ派サウディアラビアの代理戦争の側面があることは、よく知られている。それがレバノンに波及して、今年8月に、ヒズブッラーのベイルート事務所が爆破され、その後報復でトリポリのスンナ派モスクが爆破された。だが、代理戦争の片方の主役であるイランが直接攻撃対象となったのは、初めてである。
だが、筆者が「嫌な形」というのは、代理戦争のことではない。
アッザーム旅団が犯行に及んだ日は、シーア派信徒にとって最大の宗教行事であるアーシューラーの直後だった。アーシューラーは七世紀、シーア派の三代目イマーム、フセインがスンナ派のウマイヤ朝軍に惨殺され殉教したことを追悼する行事だ。そんな時期を選んでの攻撃とは、極めて強い反シーア派色が伺える。
この種の、相手宗派の記念となるような時期、儀式を狙って攻撃する手法は、イラク戦争以降のイラクでよく見た。戦後シーア派の諸宗教行事が解禁となると、まさにイマーム・フセインの墓廟のある聖地カルバラーは恰好のターゲットとなり、2004年戦後初めての行事で爆破されて170人以上が死亡した。その後毎年のように、アーシューラーとアルバイーン(フセイン殉教の四十日後の喪明けの儀礼)では、全国から集まるシーア派信徒を狙った攻撃が発生する。
イラク人たちは、武装勢力の挑発に乗らないように自制し続けたが、2006年2月、同じくシーア派聖地のサマッラーの聖廟が爆破されて、自制のタガが飛んだ。以降、無差別の宗派紛争が激化し、毎月3000人近い死者が出、国民の1割が国外に逃れる内戦に突入したのだ。
嫌な形の宗派主義を掲げる武装勢力の問題は、それが異なる宗派の人々の間で、これまでなんとか自制し対立をコントロールしてきた、その社会のメカニズムを次々に破壊していることだ。イラクでは、良くも悪くも世俗主義を掲げ、宗派を乗り越えた国民アイデンティティーのもとで共存していこうという意識が、戦後もしばらくは維持されていた。それを、宗派対立を煽り、無秩序空間を広げて自派の勢力を拡大しようという武装勢力の活動が、壊していった。
そして今レバノンで破壊されようとしているのは、15年間続いた内戦を経てようやく定着してきた宗派間の多極共存体制である。異なる宗派が狭い土地に住むという環境のなかで、レバノン人たちは戦いを経験しながらも、なんとか共存するすべを模索してきた。つまり、「それぞれの宗派に生まれ、その違いは否定できないけれども、差異を踏まえて国民として共存する」ことである。
それが、現在煽られている宗派対立と異なるのは、今のそれが「自分の宗派しか容認しない」不寛容な宗派主義だからだ。武装勢力は、同じ場にいる者たちとの共存を前提にしていない。
そのような発想が生まれるのは、この種の「嫌な」宗派対立をもたらす武装勢力が海外から流入したものだからである。イラク戦争のあと、戦後の無法地帯を狙って各国から不寛容な宗派主義者がイラクに流入した。その後、内戦を経て宗派で分断されたイラクがなんとか落ち着きどころとして目指したのが、レバノン型の宗派ごとの利益配分である。そのために、海外から流入したものたちを追い出すことは、急務だった。
そうして追い出された者たちが流れ込んだのが、シリアである。そしてレバノンへと向かい、今度はレバノンの共存関係を揺るがしている。代理戦争の最大の問題は、共存を前提にしない勢力を、対立の場に持ち込むことだ。
かつてイラクが確立した世俗モデルと、今のレバノンがたどり着いた共存モデルが壊されたら、その後には、何が残されるのだろうか。
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