武闘派イスラーム主義台頭の背景には

2012年11月1日(木)15時38分
酒井啓子

 どうも欧米の知識人は、イスラーム世界で起きていることとなると、つい「三日月」を名前に使いたくなるらしい。「アラブの春」後のアラブ諸国で、最近サラフィー主義が台頭していることを評して、アメリカの中東研究者ロビン・ライトは、こう表現した。「新しいサラフィー三日月地帯」。地中海沿岸のシリアからエジプト、チュニジア、リビアといったスンナ派の国々で、サラフィー主義者が起こす暴力的事件が増えていることが、この表現の背景にある。

 少し前、イラク戦争直後は、イラン=シーア派の脅威、とみなされ、レバノン、シリア、イラク、イランが「シーア派三角地帯」と危険視されていた。それが、今度はスンナ派か。そういえば、ブッシュ政権時代には、もっと広げて北アフリカから北朝鮮までを「不安定の弧」とする名称もあった。三日月は、十字=十字架に代わってイスラームの象徴として使われるものだが、暴力や紛争が絡む地域の地理的名称に、いちいちイスラームの宗教的シンボルを使うのは、いかがなものだろうか。

 ところで、サラフィー主義である。9月に駐リビア米大使が反米デモで殺害されて以降、武闘派のサラフィー主義者への警戒が高まっている。リビアだけではなく、チュニジアでも同様のサラフィー主義者による暴力事件が頻発し、今年半ばから、映画館やテレビ放送など、さまざまな文化活動が「非イスラーム的」として攻撃の対象とされてきた。

 サラフィー主義というのは、もともとは「初期イスラームの原則と精神に回帰する」という思想である。一種のピューリタリズム、世直し思想で、武闘路線はもちろん、政治からも距離を置くのが基本だった(少なくとも、私が大学時代に歴史を勉強した時には、そう習った)。

 ところが、今世間を騒がせているのは極めて狭量な、議会や民主制など西欧型システムを一切否定する、暴力的なサラフィー主義者だ。彼らは、エジプトの自由公正党やチュニジアのナフダ党など、「アラブの春」後に政権与党となった中道派イスラーム主義とは、思想も政策も、行動路線も大きく異なっている。9月、リビア同様の反米デモで死者を出したチュニジアでは、政府は犯人のサラフィー主義者を厳しく取り締まったが、当のサラフィー主義者はナフダ党率いる政府を「アメリカの操り人形のばか野郎」と罵っている。同じイスラーム主義政党だからといって(いや、だからこそか)、関係は良好ではない。

 では、このような武闘派サラフィー主義者が登場したのは、いつ、何故なのか。前述した、歴史的伝統のあるサラフィー主義者と区別するために、最近では「サラフィー・ジハード主義者」という名称が使われるが、そこからも分かるように、その起源はソ連のアフガニスタン侵攻と、ソ連軍と戦うために徴募されたアラブ人義勇兵と密接に関わりがある。そう、あのビン・ラーディン率いる「アル・カーイダ」と同じ出自を持つ、双子のような存在なのだ。つい近年まで(あるいは今でも)、アフガニスタンやイラクで反米ゲリラ活動を続けてきた。

 そして、さらに彼らが勢いづく事態が起きた。シリアの内戦である。アサド政権を追い詰めようとする反政府勢力には、多くのサラフィー主義者やアルカーイダが流入して武力を貸していると言われている。チュニジア出身者も多い。彼らは、シリアの戦いに活躍の場を見出したのだ。

 その反政府勢力を支援しているのは、トルコとサウディアラビアだ。ここに、かつて見た世界が再び現れる。アフガニスタンでソ連を追い出すために、サウディとパキスタン、アメリカが協力して世界中のイスラーム義勇兵をかき集め、武闘派に仕立てあげた、そしてビン・ラーディンを生み出した、あの世界だ。

 サラフィー主義の台頭は、「アラブの春」の必然的帰結ではない。彼らにも政治参加の場を与えただけだ。だが、一方で、彼らに武器を持って戦う場を与える国際政治の力学がある。「春」でアラブの人々の意識が変わっても、宗教を中東域内政治の覇権抗争に利用する、地域大国のビヘイビア(態度)が変わらないことには、武闘派はなくならない。

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