サウディアラビアに飛び火したシーア派の反乱

2012年7月11日(水)12時03分
酒井啓子

 3月にバハレーンを訪れて以来、バハレーンの反政府デモの様子を折に触れてお伝えしてきたが、とうとう対岸が対岸の火事ではなくなってきた。7月8日、サウディアラビア東部州のカティーフでデモが起き、官憲と衝突して1人が亡くなったからだ。

 サウディアラビアの東部は、その住民の多くがシーア派だが、サウディアラビアが統治の根幹とするワッハーブ派イスラームは、未だこれをイスラームとして認めていない。王国内では常に政治的にも社会経済的にも差別され、明確な劣位におかれてきた。彼らの動向がサウディ王政の安定性を揺るがすのではと、常にサウディ官憲が厳しい眼を光らせている。

 昨年「アラブの春」でエジプト、リビアと次々に長期政権が倒れるなか、サウディアラビアでも王政が危険に晒されるのでは、と危惧された。その先鋒として危険視されたのが、シーア派住民だ。昨年3月にカティーフで、裁判なく拘留されている住民の釈放を求めて行われたデモを皮切りに、サウディ官憲とデモ隊の衝突が続き、11月には4人の死者を出した。今年1~2月にも数名が亡くなっている。日本ではほとんど報じられることがないが、政治的暴動がほとんどないサウディでこのデモの連続は、珍しい。

 サウディ東部のシーア派動向が、対岸のバハレーンで人口の過半数を占めるシーア派住民の動向と連動するのは、ある意味当然だろう。3月に報告したバハレーンとサウディを結ぶコーズウェイ(写真)は、バハレーンとサウディ東部のシーア派連絡網でもある(実際に見てみると、実に近い)。バハレーンでスンナ派王政への批判の嵐が吹き荒れたとき、サウディ政府が敏感に反応してGCC(湾岸協力機構)軍を派兵したのはさもありなんだが、これがサウディ自身に逆噴射した。昨年3月のサウディ東部でのデモは、バハレーンでのサウディ軍駐留を批判して行われたからである。

 今回も、サウディの対バハレーン策が過剰な予防措置として逆効果を生んだという側面を感じとれる。今年3月ごろからGCC諸国の間で国家統合案が検討されているのだが、その第一段階としてサウディアラビアとバハレーンを合邦させよう、との案が浮かび上がったのだ。

 合邦とは、体のいい吸収合併である。眼と鼻の先で騒擾を起こすバハレーンを、いっそ「占領」として直接統治してしまったほうがラクだ、というのがサウディの発想だ。

 だが、それはむしろバハレーンの活発な反対派勢力を、比較的無風だったサウディに抱え込むことになる。サウディ・バハレーン統合案に対するイラン国会議員の反応は、「統合すればバハレーンの危機をサウディ国内に持ち込むだけで、却って不安定化するだろう」と、不吉なものだった。案の定、その後イランはしきりに合邦案を批判する論陣を展開し、サウディ東部のシーア派デモ隊にもしきりにエールを送っている。

 多くのサウディ研究者が指摘することだが、東部シーア派が反旗を翻すのは、シーア派だからという宗教的理由ではなく、経済的劣位によるものである。だが、サウディとイランという地域大国二国がこれを宗派対立とみなし、地域の覇権争いにすり替える。こうして反旗を翻した住民の思いは、地域大国間の駆け引きの間に零れ落ちてしまうのだ。

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