スーチーが国会議員になるということ

2012年6月27日(水)18時03分
池上彰

 何気なく見ているニュースが、思わぬ指摘でまったく違うものに見えてくることがあります。そんな視点を与えてくれるメディアは大切です。本誌日本版6月27日号で、そんな記事に出合いました。「ヨーロッパ『凱旋』 スー・チーの憂鬱」というタイトルです。

 アウンサンスーチー(本誌ではアウン・サン・スー・チーと表記していますが、ここでは本人の意向を尊重した表記にします)がノーベル平和賞の受賞記念演説をしたのは感慨無量でした。1991年に受賞したときは、自宅軟禁中。軍事政権は出国を認めなかったろうし、もし認めても、その場合は帰国を認めなかったでしょうから、スーチーは出席できなかったのです。

 それが、ビルマ(ミャンマー)の劇的な変化で民主化が進み、スーチーが自由に海外に出られるようになったのですから。

 スピーチも感動的でした。

 しかし、スーチーは、その前に隣国タイを訪問した際、事前にタイ政府に連絡していなかった上、バンコクで開かれた世界経済フォーラムで演説したことで、以前から演説を予定していたテインセイン大統領は出席取りやめに追い込まれました。世界はスーチーに注目し、テインセインの話は霞んでしまうから。テインセインの面目をつぶしてしまったというのです。

 国会議員としての行動には責任が伴う。政治上の連携相手であるテインセインに対する配慮も必要。「役割が変われば、要求される行動も変わる」「自宅難民の日々には経験することのなかったジレンマだ」というのです。

 厳しいコメントですが、こういう視点が大事ですね。ビルマ(ミャンマー)の主要都市ヤンゴンにあるスーチーのNLD(国民民主連盟)本部を訪ねたことのある私が見る限り、スーチーにしっかりしたアドバイスや忠告ができる人材はなかなか見当たりません。

 スーチーが傑出しているからなのか、「お姫さま」(ヤンゴンでスーチーに会ったことのある日本人の表現)だからなのかはともかく、物事を戦略的に見ていける人材がいないと、今後のスーチーの歩む道は険しいものになります。

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