「イスラム国」が示した「非対称戦争」の先にある未来

2015年2月12日(木)22時56分
池田信夫

 テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)の人質事件は、日本人に戦争を身近に感じさせた点では意味があった。こういう事件が起こっても「平和憲法でテロリストと仲よくしよう」という平和ボケがいるが、世界はこういう暴力に満ちている。日本人が知らないだけだ。

 ISISの実態はイスラムでもなければ国家でもないが、彼らが国家を自称したのは皮肉である。一定の領土内で主権をもつ近代国家の概念が最初に定義されたのは1648年のウェストファリア条約だが、このときの国家は300以上あり、ほとんどはドイツの領邦だった。国家は暴力集団が一定の領土を支配したときの自称なので、「イスラム国」は近代国家の戯画である。

 主権国家が相互承認したのが第1次大戦後の国際連盟だが、これは第2次大戦後は役に立たなくなった。核兵器の抑止力によって国家が宣戦布告して行なう通常戦争が少なくなる一方、核戦争を抑止するには軍事同盟が不可欠になり、そこではすべての同盟国が(他国に従わないという意味の)主権をもつことはできない。

 国内的にも第2次大戦後は大きな内戦や革命が起こらなくなったが、それは世界が民主化したからではない。今も世界には独裁国家が多いが、政府が武力を独占しているために革命が起こらないのだ。つまり国家の独占する武力が民間に比べて圧倒的に大きい非対称性が、20世紀後半の平和の最大の原因だった。

 他方、ゲリラが国家に挑戦する戦争が増えた。アジアやアフリカの反植民地闘争は宗主国に対する反政府ゲリラの戦いであり、その最大の悲劇がベトナム戦争である。戦力では圧倒的に優勢だったアメリカが、北ベトナム(とソ連)の支援を受けた民族解放戦線に勝てなかった。

 こうした非対称戦争が激増したのが、冷戦後である。核戦争の脅威が小さくなる一方で武器が余り、その流通が「自由化」されたからだ。それまで各国政府だけに武器を供給していた軍需産業が世界の市場で安く大量に武器を売るようになり、ロシアからも廃棄された武器が大量に流出した。

 この結果、ISISのような数万人のテロ集団でも、ミサイルやヘリコプターを入手できるようになった。いま世界で起こっている戦争のほとんどは、ボスニア=ヘルツェゴビナやルワンダやソマリアなど、国家と少数民族の戦争である。

 こういう戦争でゲリラが勝つことは少ないが、国家が勝つこともむずかしい。ゲリラやテロリストは領土をもたないので、正規軍が攻撃したら分散し、撤退したら戻ってくる。そもそも非対称戦争では「戦争に勝つ」という概念がないのだ。

 さらに湾岸戦争以降は戦争の無人化が進み、米軍の犠牲を最小化するために民間軍事会社(PMC)が使われるようになった。今回の人質事件で犠牲になった湯川遥菜氏の個人会社もPMCと名乗っていたが、世界には大規模なPMCがたくさんある。特に中東には、アメリカに兵士や武器を供給する会社が多い。

 鉄道や電話会社が民営化される時代に、軍隊が民営化されても不思議ではない。むしろ中世以前は、兵士は国王が傭兵として雇うのが普通だった(英語のsoldierの語源は「傭兵」)。徴兵制による国民皆兵というのは、近代国家に特有の制度である。それは陸上戦主体の戦争では意味があったが、無人化した戦争ではあまり意味がない。

 20世紀後半の平和を支えたのは国家と個人の暴力の非対称性だったが、グローバル資本主義がそれを崩そうとしている。その究極のリスクは、テロリストが核兵器を入手することだ。核兵器の製造にはそれほど高度な技術は必要なく、北朝鮮でも開発できる。その材料となるプルトニウムにも国際的な「ブラック・マーケット」があり、パキスタンから北朝鮮やイランやリビアなどにウラン濃縮技術が供与されたともいわれる。

 私が『資本主義の正体』で書いたように、資本主義が成立した最大の基盤は、近代国家による暴力の独占とその管理だった。平和がなければ、商取引も生産もできない。その基盤をグローバル資本主義が崩そうとしているのは皮肉な状況である。

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