ケインズの時代が終わり、マルクスの時代が始まる
原油価格は1バレル50ドルを切り、2009年以来の水準になった。昨年11月のコアCPI(生鮮食品を除く消費者物価)上昇率は年率0.7%に下がったが、今年中にはCPI上昇率はゼロになるだろう。日銀の大規模な量的緩和で上がらなかった物価が、原油安で下がったのは皮肉である。
黒田総裁の本当のねらいは円安にあったと思われるが、これも裏目に出た。昨年の貿易赤字は史上最大になり、せっかくの原油安も、ドル高で半分ぐらい帳消しにしてしまった。黒田氏の信じている一国ケインズ主義は、もう終わったのだ。
ケインズ理論では、通貨供給で物価水準を動かし、為替レートで経常収支が動かせることになっているが、グローバル化した世界ではこういうコントロールはきかない。資本がネットワークで世界を移動するからだ。資本収益率も金利も、新興国との競争で世界的に低下している。日銀の力だけで「デフレ脱却」はできないのだ。
これは大きくいうと、主権国家というシステムの終わりの始まりだ。この概念ができたのは1648年のウェストファリア条約だが、神聖ローマ帝国の300以上の領邦が「至上の主権」をもつというのは矛盾していた。主権国家が制度的に確立したのは、第1次大戦後である。
マルクスとエンゲルスは1848年に『共産党宣言』で「ブルジョア階級は産業の足元から民族的土台を切り崩し、伝統産業は破壊されて新しい産業に駆逐され、この新たな産業の導入がすべての文明国民の死活問題となる」と、グローバル資本主義の到来を予言したが、それは19世紀には遠いユートピアだった。
第1次大戦で国家の経済に対するコントロールが強まり、1930年代の大恐慌でケインズ主義が勝利した。戦後のブレトン=ウッズ体制で管理通貨制度になり、社会主義国は経済を全面的に国家管理した。国家が金融・財政政策で経済を支配する体制が、1950年代に完成したのだ。
しかし管理通貨制度のコアである固定為替相場制度は1970年代からゆらぎ始め、各国の政府が財政政策で総需要をコントロールするケインズ政策は、財政赤字の膨張とスタグフレーションで困難になった。そして1990年代に社会主義が崩壊し、東欧や新興国にグローバル化の波が広がった。
第1次大戦から社会主義の崩壊までの80年間を、イギリスの歴史家ホブズボームは、短い20世紀と呼んだ。それはマルクスの予言したグローバル資本主義という大きなトレンドの中の、一時的な揺り戻しだったのかもしれない。OECD(経済協力開発機構)諸国の人口は、まだ世界の総人口の18%である。「地球的」という意味でグローバルな資本主義は、ほとんど始まったばかりなのだ。
しかし考えようによっては、それは16世紀以前に戻るだけだ。もともと世界には、国境はなかった。アジアでは、中国の皇帝が世界全体をその版図として支配していた。アフリカには部族社会はあったが、国家はなかった。その国境線は、ヨーロッパ諸国の植民地支配の境界だった。
資本に国境がなくなる時代には、企業にとっては法人税もコストの一つに過ぎない。日本国内で「年産300万台」を死守して40%の法人税を払うトヨタより、タックス・ヘイブン(租税回避地)に子会社をつくって海外利益の2%しか納税しないアップルのほうが、グローバル資本主義では合理的なのだ。
主権国家は矛盾をはらんだ制度だが、それを連邦国家にしようというEU(欧州連合)の制度は、ギリシャ危機でゆらいでいる。「短い20世紀」が終わり、主権国家というカルテルで徴税する時代が終わったとすれば、グローバル企業がオフショアに逃避し、大富豪がカリブ海に資産を集めて税金を払わない時代が来るかもしれない。
世界各国の対外資産の合計は、対外債務を(世界のGDP比で)1割近く下回る。貸した金が借りた金より少ないはずはないので、これはその差額が地下経済にもぐっていることを示す。これを放置するとピケティも危惧するように、所得分配が極端に不平等化するおそれがあるが、彼のいう「グローバルな資本課税」もユートピアである。
しかし悲観的な未来ばかりでもない。マルクスは「資本が世界を文明化する」と予言した。世界の人口の8割はまだ資本主義を知らないのだから、彼らがグローバル化すれば成長の余地は大きく、海外収益を含むGNI(国民総所得)でみれば、日本が成長する可能性もある。日本の企業には、まだ資本主義が足りないのだ。
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