「デフレ脱却」で賃金は下がり、景気は悪化する

2014年7月16日(水)16時02分
池田信夫

 昨年4月、日本銀行の黒田総裁は「デフレが不況の原因だ」と考え、2%のインフレ目標を掲げて「量的・質的緩和」を開始した。彼の理論によればデフレが不況の原因なのだから、デフレを脱却すれば不況も終わるはずだった。それから1年3ヶ月たって、何が起こっただろうか。

 5月の消費者物価指数上昇率(生鮮食品を除く総合)は3.4%。消費増税の影響2%を引いたコアCPI上昇率は1.4%で、「デフレ脱却」といってもいいだろう。デフレが不況の原因なら景気はよくなるはずだが、どうだろうか。総務省の家計調査によれば、5月の消費支出(実質)は前年比8.0%も下がった。当初は増税の影響は織り込みずみで大したことないと思われていたが、図のように意外に大きい。

消費支出と賃金(出所:総務省)

 問題はこれが増税による一過性の落ち込みか、それとも景気悪化の始まりかということだ。政府はこれを「3月に駆け込み需要で7.2%も消費支出が増えた反動」としており、もう少し様子を見ないとわからないが、消費の落ち込みが続く可能性もある。それは図のように実質賃金が低下しているからだ。

 5月の実質賃金は、前年比3.6%も下がった。名目賃金(現金給与)が0.8%しか上がらなかったので、消費増税がそのまま実質賃金(名目賃金-物価上昇率)の低下になったのだ。これは人手不足がいわれる割には、経済全体の労働需給はそれほどタイトになっていないことを示す。要するにインフレと増税による賃下げが起こり、それが消費支出の減退をまねいているのである。

 もっともその責任は、よくも悪くも黒田総裁にはない。彼の「異次元緩和」は、財政ファイナンスで国債の消化を助ける以外の実体経済への影響はなかった。5月のエネルギー価格を除くコアコアCPI上昇率(金融政策の効果を示す)は0.2%だ。つまりデフレ脱却の原因はエネルギー価格上昇だったのだ。

 彼の総裁就任と同時に物価が上がったのは、偶然だった。その最大の原因は、以前のコラムでも書いたように、2009年以降、日本の交易条件(輸出物価指数/輸入物価指数)が急速に悪化したことだ。

 2000年代に新興国の旺盛な需要で、原油などのコモディティ価格が上昇した。他方、日本の輸出する電機製品などの価格は競争の激化や技術革新であまり上がらないため、輸出物価が下がって輸入物価が上がったうえ、リーマンショック以後、原油価格が2.5倍になった。おまけに民主党政権が原発を止めて燃料輸入を増やし、安倍政権が円安を促進したため、交易条件は30%も悪化した。

 アジアとの国際競争も激しくなり、中国の実質賃金(単位労働コスト)に日本の賃金が引き寄せられる現象が続いている。このため1990年代後半から名目賃金は1割以上も下がったが、デフレで実質賃金はそれほど下がらなかった。しかし「デフレ脱却」によって、実質賃金が大きく下がり始めたのだ。

 実質賃金は労働需給で決まり、労働需要は成長率で決まる。建設・外食以外の労働需要が伸びないのは、日本経済が供給力の天井を打った(潜在成長率がゼロになった)ためであり、追加緩和をしても改善できない。日銀にできることはもうないのだ。必要なのは生産性を高めて(ゼロに近づいた)潜在成長率を引き上げることであり、それは2000年代とまったく変わらない。

 当然のことだが、デフレは不況の結果であって原因ではないので、結果を変えても原因は変わらなかった。輸入インフレで景気は悪化するが、原油価格が落ち着いてきたので、2%のインフレ目標は不可能だろう。それは黒田総裁には悪いニュースかもしれないが、日本経済にはいいニュースなのだ。

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