農業改革の焦点は「全中の廃止」ではない
安倍政権の農業改革は、また竜頭蛇尾に終わりそうだ。政府の規制改革会議が5月にJA全中(全国農業協同組合中央会)の廃止を求める提言を出したのを受けて、自民党と公明党は調整を進めていたが、10日決まった改革案では全中の「廃止」は撤回され、「自律的な新たな制度に移行する」という表現になった。
農協の組織を政府が廃止するというのは奇妙だが、全中は農協法で定められ、補助金の受け皿になっている。これを廃止して全国7000の農協の自発的な経営努力をうながそうというのが規制改革会議の提言だったが、今回の決定で骨抜きになった。メディアはこれを批判しているが、本質的な問題はそこではない。
日本の農業が「補助金漬け」というのは誤解で、直接補助(所得補償)の比率は欧米より低い。最大の問題は、関税や米価などの価格支持で消費者に農業保護のコストを負担させていることだ。OECD(経済協力開発機構)の調査では、日本の生産者支持評価額(PSE)は農業所得の約50%で、OECD平均の2.5倍である。
ヨーロッパでは輸出補助金が多いが、価格支持は少ない。関税で農産物価格をゆがめると通商紛争の原因になるため、WTO(世界貿易機関)も直接所得補償(農家の所得を政府が補填する)への切り替えを勧告している。日本でも民主党政権が所得補償への切り替えをマニフェストに掲げたが、補助金を残したままのバラマキに終わった。この点がわかりにくいので、初等的な経済学で解説しよう。
たとえば牛肉の国際価格を1000円とすると、今は価格支持政策で38.5%の関税がかかっているので、輸入価格は1385円になる。この価格で消費者が1ヶ月に700gの牛肉を食うとすると、世の中には1385円以上払ってもいい消費者がいるので、彼らはその効用(需要曲線)から価格を引いた利益(消費者余剰)Aを得る。これに対して国内の牛肉生産者は、価格から費用(供給曲線)を引いたB+Dの利益を得る。
ここで関税を撤廃し、輸入価格も1000円になったとしよう。消費量は1kgに増え、消費者余剰はA+B+Cに増えるが、生産者の利益(生産者余剰)はD+Eになる。図からも明らかなように、関税の撤廃による消費者余剰の増加(B+C)は生産者余剰の減少(B-E)より必ず大きい。それは関税によって消費が減り、消費者も生産者も損をしているからだ。この社会的損失(C+E)を死荷重とよぶ。
だから貿易自由化は生産者から消費者への所得移転だが、これはゼロサムゲームではない。自由化で死荷重がなくなると、社会全体としての利益が増えるからだ。生産者は損するが、彼らの損失(B-E)に相当する額を所得補償すれば、生産者の所得は変わらないで消費者が利益を得る。価格も国際水準で決まるので、輸出入額には影響しない。
つまり関税を所得補償に切り替えれば、消費者も生産者も利益を得るのだが、農協は損する。農協は全中を頂点とする社会主義国家である。毎年、減反の割り当てが全中から各県の中央会に下ろされ、それと一体で補助金が各農協に分配される。これが農協の最後の存在意義になっているが、TPP(環太平洋経済連携協定)で農業保護が槍玉に上げられている。
そこで出てきた妥協策が、この全中廃止だ。これは一見ドラスティックな改革にみえるが、全中がなくなっても各県の中央会が補助金の分配権限をもつかぎり、農協は生き残る。関税が、こうした補助金の財源になっている。本質的な問題は全中の存在ではなく、減反や関税と一体になった裁量的な補助金なのだ。
全中を廃止しなくても、関税や補助金をやめて所得補償に切り替えれば、補助金を分配する機能しかない農協は(金融機能を除いて)消滅する。農協は、戦時体制でつくられた「農業会」の遺物である。それをなくすことは、日本が「戦前レジーム」を清算して普通の国になる総仕上げだ。
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