「お上」に従う電力会社を優先審査する原子力規制委員会の裁量行政

2014年3月19日(水)15時27分
池田信夫

 全国の原発を止めたまま安全審査をしている原子力規制委員会は、九州電力の川内原発1、2号機を「優先審査」することを決めた。今まで6原発10基を並行して審査していたが、今後は川内の審査を優先し、夏までに「合格」の審査結果を出す見通しだ。当初は稼働実績があって有利とみられていた関西電力の大飯3、4号機は優先審査の対象から外れ、今年の夏の電力供給は綱渡りになるおそれが出てきた。

 昨年7月に安全審査を申請したとき、九電は川内の基準地震動を540ガル(加速度の単位)と設定したが、委員会が難色を示したため、620ガルに引き上げた。これは東日本大震災のとき福島第一原発で観測された最大の加速度は550ガルをはるかに上回り、川内ではまったく想定されていない地震動だ。

 他方、関電は大飯の基準地震動を700ガルから759ガルに引き上げると提案したが、島崎委員長代理が却下した。若狭湾にある二つの断層と陸側にある断層が連動するかどうかをめぐって、委員会と関電の見解がわかれたためだ。「反抗的」な関電に対して、委員会のいいなりになる九電の「素直な姿勢」を委員会は評価したわけだ。

 バナナのたたき売りのように基準地震動が大きくなるのは、安全基準で数値が決まっていないからだ。普通は安全審査といえば事前に数値基準が示され、電力会社がそれをクリアしているかどうかを審査するが、今回は定期検査中の原発を止めて基準を改正しながら審査しているので、電力会社が「自主規制」で基準を決める。

 新たに導入されたバックフィット(新基準の遡及適用)については、田中俊一委員長が法的根拠のない田中私案という紙切れで原発を全面的に止めることを決めた。このため自民党は安全審査が終わるまで原発が再稼動できないと思い込み、優先審査を求めている。

 しかし規制委員会は「再稼動の審査」をしているわけではない。これは菅直人氏の質問書に対して2月21日に閣議決定された答弁書で、「原子力規制委員会は発電用原子炉の規制を行っているが、同法において、発電用原子炉の再稼働を認可する規定はない」と内閣が答えたことでも明らかだ。

 再稼動の認可という手続きは存在しないのだから、委員会が認可を行なうこともできない。彼らは原発が新基準に適合するかどうかを審査するだけで、そのために運転を止める権限はないのだ。しかし委員会は、たった3枚の田中私案にもとづいて裁量的に活断層や地震動の審査を行ない、彼らのいいなりになる電力会社から優先的に審査する。

 このため電力会社は「お上」の意図を忖度し、競争できびしい自主規制基準を決める。基準地震動を引き上げるには配管などの補強工事に多くのコストがかかるが、少しでも早く再稼動すれば、1日あたり数十億円の燃料費が助かるからだ。このような裁量行政が官民癒着の原因である。

 いつも「人権問題」にうるさいメディアも、こういう極端な裁量行政に何もいわない。悪い電力会社がいじめられるのは、庶民が拍手するからだ。しかし電力会社の負担したコストは、総括原価主義のもとでは電気料金に転嫁できるので、最終的には税金と同じようなものだ。昨年のLNG輸入増は3.6兆円。為替の効果などを引いても2兆円と、ほぼ消費税1%分である。

 こういう裁量行政を認めると、政府は何でもできる。田中私案は電力会社の財産権を法的根拠なく侵害するものだが、同じような紙切れで新聞社の反政府的な言論を取り締まることもできる。戦前には、新聞紙条例にもとづいて内務省が裁量的に新聞の発行を禁止したため、新聞社は検閲官に競って賄賂を贈った。

 戦前の失敗を教訓にして、今の憲法では法にもとづかない裁量行政を禁じている。国家権力の濫用から個人や企業を守るのが、法の支配という近代国家の根本原則である。行政手続法では、行政指導の文書化を義務づけるなど、透明化をはかってきたが、今回の安全審査は江戸時代に戻ってしまった。

 メディアは「政府が悪い電力会社はきびしく制裁し、善良な庶民の人権は守る」という「大岡裁き」を求めているのだろうが、そうは行かない。今回のような法の支配の例外を認めると、今度はあなたが被害者になるかも知れない。例外を裁量的に決めるのも、政府だからである。

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