医薬品ネット販売を規制する厚労省の「水戸黄門」の論理

2012年5月11日(金)14時43分
池田信夫

 大衆薬のインターネット販売を大幅に規制した厚生労働省令は違法だとして、ケンコーコムなど2社が国に対してネット販売継続の権利確認などを求めた訴訟で、厚労省は5月9日、国側の逆転敗訴を言い渡した東京高裁判決を不服として上告した。

 2009年に改正された薬事法にはネット販売を禁じる規定はないが、厚労省令では3分類のうちリスクの高い第1類・第2類のネット販売を禁じている。これについて東京高裁は今年4月、「薬事法がネット販売を一律に禁止するという点まで省令に委任しているものとは認められない」として、「法律の委任によらないで国民の権利を制限する省令の規定は国家行政組織法12条3項に違反する」という判決を出した。

 国家行政組織法では「省令には、法律の委任がなければ、罰則を設け、又は義務を課し、若しくは国民の権利を制限する規定を設けることができない」と定めている。これは国家権力が法の支配のもとに置かれ、国会の監視を受けなければならないことを定めた重要な規定である。

 法律の改正には国会の議決が必要だが、省令や政令は閣議決定だけでいい。このため法律では曖昧に規定して、具体的な規制は省令や政令で決めるのが日本の官僚機構の常套手段だ。さらにその解釈も逐条解釈で詳細に決め、処罰も行政処分で行なうことが多いため、官僚が立法・行政・司法を独占しているのが日本の統治機構の実態である。

 これは官僚にとっては都合のいいやり方だ。規制に対して国会で批判を浴びることもないし、説明責任もない。世の中の変化に合わせて柔軟に変更できるというメリットもある。しかし国民が規制に反対しようとしても、その手段がない。省令や政令には国会のチェックがないからだ。規制を止めるには、今回のように行政訴訟を起こすしかないが、行政訴訟で民間が勝つことはほとんどない。

 省令のような文書が残っているのはましな方だ。いま問題になっている原発の再稼働をめぐる混乱のきっかけになったのは、昨年5月に菅首相(当時)が行なった中部電力浜岡原発を停止させる「要請」だった。これは閣議決定も経ない「個人的な意見」(菅氏)だったが、国の強い規制を受けている電力会社にとっては、首相の要請を拒否すると何をされるかわからないので、実質的な「命令」である。

 これによって中部電力は、昨年度だけで2800億円の損害を受けたが、株主が国に損害賠償を要求しても、国は「あれは菅直人個人のお願いであり、中部電力は自由意思でそれに応じたので国には責任がない」ということができる。このように実質的に命令しておきながら、まずい結果が出ると「民間の自由」を理由にして責任を逃れるのが、霞ヶ関に広くみられる裁量行政の特徴である。

 ほとんどの日本人が、こうした裁量行政に疑問をもたない。菅氏が突然、記者会見して要請を行なったときも、メディアは「大英断」として拍手を送った。ところが、それがきっかけで全国の原発が次々に止まり、原発がゼロになると、「民主党の決定が迷走したからこうなったのだ」などと批判し始める。

 法にもとづかないで官僚が国民を指導する裁量行政は、時代劇の「水戸黄門」と同じだ。黄門様が賢明なら、面倒な法的手続きなしに決着をつけるのは便利だが、彼が正しいという担保は印籠(に象徴される徳川幕府の権力)しかない。それが間違っていても、国民には抗議の方法がない。特に国家に反抗するような抗議が聞き入れられることはないだろう。それは中国や北朝鮮の統治機構と基本的に同じである。

 法の支配というのは特殊西洋的な規範であり、日本人がそれになじめないのはやむをえない。しかし官僚がそれに便乗して裁量行政を強めると、ネット販売サイトがつぶれても、電力会社に莫大な損害が出ても、誰も止めることができない。日本が近代国家として成熟するには、国民が法の支配を理解し、官僚の裁量に歯止めをかけるしかない。

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