中国の夢、それぞれの日々
その夜、わたしは偶然、複数のメディア関係者と夕食の約束をしており、その場に突然の大使館前の抗議活動を取材していて遅れたジャーナリストがやってきた。彼女と同業者たちは自然にマレーシア航空機事件の話題になる。そして、そのうちの一人が、「そういえば、なんか不思議な人が家族に紛れている」と言い、他の2人もぱっと顔を挙げて、「やっぱりそう?」「変だと思ってたのよね」と言った。
事故発生からその時まで3週間が経っていた。情報は錯綜し、なんの具体的な証拠も、片鱗も見つからない。滞在先のホテルで肩を寄せあって一縷の望みをつないでいた家族たちの情緒も波のようにアップダウンを繰り返しているのをジャーナリストは目にしていた。その中でマレーシア航空や政府のみならず、中国政府の支援を求める人たちから中国当局への不満が頭をもたげてくると、ある男性が「政府だって一生懸命やっている」「今はぼくら中国人が分裂する時じゃない」「ぼくらは団結しなければ」と必ず声をかけるのを、複数のジャーナリストが目にしていた。その人物が本当に乗客の家族なのかどうかわからない、だがずっと家族たちの中にいて、同じことを繰り返したというのだ。
大使館前の取材から戻ってきたジャーナリストも、バスの中で彼が皆に「抗議のルール」を伝えているのを目にしたという。もう一人が、「バスの車体にも、『親愛なるキミよ、ダイヤの指輪を用意したよ。早く帰っておいで』とかいう気色悪いスローガンが貼ってあるのよね。今の家族にそんな悠長なことを言う余裕がどこにあるんだろう?と不思議でならなかった」と言う。そして現場にいたジャーナリストがこう言った。「バスとは言ってもね、旅行用の大型バスじゃなくて、路線バスよ。路線バスをチャーターしてあったの」
その瞬間、「ああ、そうか」と全員の疑問が氷解した。たとえ家族の中にどんなに冷静になれた人がいたとしても、バス会社の社員でない限り、路線バスのチャーターは思いつかなかったはずだ。だが、路線バスをチャーターして待機させるという場面は、たとえば過去の抗議デモでも出現しており、わたしも目にしたことがある。しかしそれは必ず、公安など当局が手配したものだった。このマレーシア大使館への抗議も、深い悲しみが転じて怒りに燃える家族たちの不満をそれとなく誘導したのは中国当局だったのだ。こうして政府は行き場のない怒りが自分たちに向かうことを巧妙に回避していたのだろう。
この話を、冒頭のテーブルで伝えた。最初は一瞬誰もが目を丸くした。そんなことはどこのメディアも伝えていないからだ。だが、さらっと「十分有り得る話だね」と言ったのはコーチたちだった。彼らは体制の中で日々生活をし、また自分の今があるのも体制内で自身が選手として暮らした経験があるからだ。体制のロジックは彼らが一番良く理解している。さまざまな場面に出入りするうちに、彼らは体制がどんなふうに「人々」を管理しているか身を持って知っているはずだ。いや、ある意味彼ら自身の日常こそ、そうした体制内管理者の末端としての役目も負っている。
そして、「......そりゃそうだ、反日デモだってそうだった」と製作会社の社長が言った。彼らがふとそこで目を伏せたように見えたのは、わたしが日本人だったからだろうか。そして続けてつぶやいた、「今じゃ治安維持予算のほうが軍事予算よりも大きいんだぜ。この国は治安維持で支えられた国なんだから、群衆のなかにそんな人物を潜り込ませるなんて朝飯前だよ」。
彼だって仕事上では嫌でも「当局」と付き合わなければならない。だが、そこで角を突き合わせるつもりはさらさらない。彼自身、「中国の文化コンテンツ製作には未来がない」と断言した。20年前、香港の路上で花壇に腰掛けて、熱く中国の文化コンテンツ事業への夢を語った彼は、製作会社をやっているのは「そこに市場があるからだ」と言う。「市場はある。だからお金は儲けられる。だが、未来も夢もない。中国の文化コンテンツは今そういう状態」
彼が言う市場とはたとえば、以前も「『SHERLOCK シャーロック』ブームに思うこと」で触れたが、中国のネット動画サイトの躍進だ。若者がどんどんテレビ離れをしていてテレビにはもう期待はできない。だが、動画サイトには次々と若者が流れ込んでおり、まず昨年政府が動画サイトコンテンツの取り締まりを実施。そこで海賊版がたくさん締め出された。その結果、主だった動画サイトでは海外からきちんと版権を買い取った番組を提供するようになり、また広告主もつくようになった。ある動画サイトの広告収入は1シーズン(3ヶ月)で約11億元(約180億円)に上ったという。
さらに、「動画サイトはモバイルでも見ることができるしね。今や中国のネット利用者はモバイル利用者がPC利用者を上回ったし」と言い、かつて人気オーディション番組づくりにも関わった彼の製作会社は今やテレビよりも動画サイトと提携する方向に傾いているという。
だが、それでも彼は「コンテンツは市場を賑わせるという未来はあっても、社会的責任を果たせるという意味での未来はない」ときっぱり言った。20年間この業界に関わっている彼はそれに対して声は上げないという。「上げたって無理。ぼくは着々とビジネスをこなすだけ」
コーチ2人も、「中国は水も安全じゃないし、空気だって汚れている。だから、食べるものにはとても気をつけている。この店は経営者が信じられるから来るだけ。脂ぎったものは食べないし、体調管理には気をつけている」と言った。なんとなく論理が飛躍しているようにも見えたが、それでも彼らは選手養成所の門限9時に合わせてそそくさと「体制内」へと帰っていった。
コンテンツ製作会社の友人は言った。すでに妻と3歳の娘を海外に移民させる準備を始めているという。「しばらくはしかたないさ。ぼくが二つの土地を往復するしかないね。商売をやめる訳にはいかないし」とつぶやいた。20年前、熱く熱く中国の文化コンテンツの未来と夢を語った彼はもうそこにはいなかった。
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