7月1日、香港
香港に行ってきた。ご多分にもれず、7月1日の主権返還記念日に合わせてである。2003年以降、市民の間ではこの日は香港政府に抗議して香港政府ビルまで練り歩くデモが行われることになっている。
「香港政府に抗議」って何を抗議するの?――答えは、なんでもあり、だ。この日が「デモの日」になったのは、03年中国国内から持ち込まれたSARS感染者が拡大し、WHOに感染地域に指定されて観光をはじめ経済面で激しく落ち込んだことによる、香港政府と中国政府の腰抜けな対応への激しい怒りからだった。それに、当時ちょうど中国中央政府の肝いりで進められていた、香港の憲法にあたる「香港基本法」への公安条例盛り込みに反対し、特区行政長官選出を市民の手で行う直接選挙導入を求めるデモが行われたのだ。
公安条例盛り込み案は結局一旦撤回され、中国の中央政府は2017年に行政長官選挙に普通選挙を導入する可能性を示した。その後毎年この日に教育、雇用、経済、民生、環境問題、福祉、文化支援など、政府の施策に不満を持つ人たちや団体が香港における集会のメッカ、ビクトリア公園に集まり、そこから政府総合ビルまでの2.8キロをそれぞれの要求を叫びながら練り歩くようになった。香港島のメインストリートを占領して歩くデモ隊の両脇を政党や政治団体、各種のNGO、NPOが陣取り、募金箱と自分たちの活動をまとめた小冊子などをデモ参加者の目の前に広げてアピールする、一種のお祭りのようでもある。
だが、亜熱帯に属する香港は毎年この時期はちょうど雨季にあたる。昨年に続き、今年もこの日は台風が近づいており、デモ開始直後から大雨に見舞われた。目視した感じでは昨年よりも参加者は少ないと感じたが、それでもデモ隊、そして両脇に並ぶ各団体は年を追うごとに数を増やし、訴えも多様化し、「にぎわって」いる。実際に、昨年政府が進めた「愛国教育授業」導入に激しい反対活動を展開して阻止に成功した、高校生の社会活動グループ「学民思潮」は今年のデモ当日だけで72万香港ドル(約930万円)の活動資金を集めた。また「ウォール街を占拠せよ!」活動に刺激されて香港の金融街、セントラルを占拠したグループにも80万香港ドル(1000万円)を超える支援金が集まったという。
途中なんども大雨が降ったものの、路上から参加する人たちが増え続け、デモの主催団体「民間人権陣線」(民陣)の発表によると、のべ参加者数は43万人(ビクトリア公園出発時に警察がカウントした人数は6万6千人、その後香港大学が発表したおよその参加者数は8万8千から9万8千人)。なお、この「民陣」は複数の民主派の政党や議員事務所、民間社会団体など48機関が集う民間組織であり、目立った活動はほぼこの7月1日の抗議デモのみという団体である。
700万人を超える人口の香港でのべ40万人、そして中立とされる香港大学の発表でも10万人弱のデモが、香港の政治環境にどれほど大きな効果をもたらすかは未知数だ。だが、市民はこのデモを通じて行政長官普通選挙実施を要求し、その結果梁振英現長官の任期が切れる2017年には最初の普通選挙の導入がほぼ決まっている。今後はその選挙実施の詳細が決定されていくわけでその如何によってはすでに10年間続いてきたデモへの参加者がまた膨張することもあるのだろう。ともかく10年間「続いてきたことが力」といえる。
このデモの抗議の声は直接の対象は香港政府でも、人々の目はさらにその後ろにいる「影の政府」、中国中央政府の連絡事務所がある「西環」に向けられている。イギリス植民地時代の香港ならイギリス政府に任命された香港総督が統治していたわけだが、今は香港人の行政長官が中央政府から派遣されてきた「影の政府」の指図を受けていると言われる。市民はそんなニセの「港人治港」にも激しい憤りを感じているのだ。
そんな香港の雰囲気を感じ取ってか、北京の中国共産党中央の常務委員会機関紙「人民日報」傘下のタブロイド紙「環球時報」は2日、「香港民衆の感情を見つめる中国の視線はさらに成熟、寛容に向かうべきだ」というタイトルの社説を掲載し、主権返還記念日のデモを論評した。
「香港では中国国内とは違う政治制度が実施されており、その社会が持つ高度に自由な特徴がさまざまな不満や反対の声を吹き出しやすくする。しかし、すべての訴えに応えたり、それを満足させることが約束されているわけではない。香港でデモが起こらないほうが奇怪であり、そこで幾人かの人間がイギリス植民地時代の香港旗を振り回したことを特に意味づけして語る価値はない。そういったことは香港においては『安っぽく』起こっていることで、彼らの行動の意味も同じように『安っぽい』ものだからだ」
「中国国内の体制は世論面では香港ほど機微に富んでおらず、香港の一部の人間がわざと鋭い叫び声と行動によって国内を刺激して、自分たちの利益を拡大しようとしている。それは実はただ、『駄々をこねている』だけなのだ。国内ではそれを見透かし、いちいちそれに反応せず、一対一で落ち着いた相互関係を取っていればよいだけだ」
「香港は中国の領土である。157年に渡る屈辱の歴史はすでに16年前に終結した。香港の祖国への回帰は、法においても、理においても、情においても、ベストな選択なのだ......中国国内は香港の反対派など世論に働きかける積極的な分子に『怯え』てはならないし、彼らを『なだめる』こともしてはならない。中国と香港の世論は平等であるべきなのだ。香港で『大事件が起こらない』ことに我々は高く自信を持つべきで、香港社会のさまざまなパフォーマンスに対して、国内はさらに寛容になり、肩の力を抜いて、以下のように理解し受け入れればよいのだ。香港というのはもともとこうなのだ、と」
......ここでは「中国と香港の世論は平等」と言う一方で、「彼らは安っぽい」と形容する。この社説は明らかに、デモを中止する中国国内居住者をなだめる目的で書かれたものだが、一方的に「駄々をこねている」と決めつける態度に、この社説のタイトルにもある「寛容で成熟」など見られない。
これに対して冷静な分析をした国内ジャーナリストがいた。香港に近接する広東省広州で発行される都市報「南方都市報」の論説員、宋志標氏だ。宋氏は四川大地震一周年(2009年)記念日に、不良校舎の下敷きになった子どもたちのことを人々に思い出させる詩的な社説を書き、社会に感動を巻き起こした。だが、その反響の大きさのために、その後同紙の論説執筆を禁じられている。その彼がネットメディアを通じて以下のような批評を発表した。
「環球時報の社説はいつもの手法で、言い負かすことができない相手に泥を塗り、そして否定した。だが、どんなに言葉で泥を塗りたくってもひとさまの香港を泥だらけにすることはできず、香港の多様化の訴求を否定できず、またそれらの声が消えてしまったわけではない。あの社説は香港人が『鋭い行動を取ることで駄々をこねている』のだから中央政府はそれを無視すれば良いと言うが、どこまで深く盲目になればこんな言葉が出てくるのだろう」
「700万人あまりの香港人のうち少なくとも30~40人に1人が街を練り歩いた。それが体制派だろうが民主派の支持者だろうが、その人数の割合から見ても強烈な政治シグナルであることは明らかだ。その『シグナル』の是非を具体的に論評することはありだとしても、彼らに指を突きつけて『お前らは存在していない』と言うなどできないはずだ。さらにはデモを主権返還のお祝いだなどと言ってしまうなんてもっと荒唐無稽だ」
「差異、相違、多元、(中国では)これらのものが大切にされたことなどなかった。掃討され続けているものすらある。みんなが揃いも揃って聞き分けがよいことが安心だと言いたいのだろう。そうしてゆっくり政治は『差異』に対応する能力を失っていく。そしてそうなるほど『差異』を恐れるようになる。ここ数年来、いろんなことがあったけれど、いつもこんな対話を繰り返しているだけじゃないか、『可以不同嗎?』『唔可以』 」
宋氏のこの論評の末尾の中国語はまず北京語で「差異があってもいいかい?」と尋ね、広東語で「ダメだ」と答えている。北京と香港の政治環境の差異を、香港で使われているのと同じ広東語の使い手のひとりとして彼はそこで書いている。
香港市民の声はまだ北京に届いたとはいえない。だが、香港の持つ「差異」をこうして理解する声が中国国内で増えていくことで、香港の「力」は高まっていくのかもしれない。
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