まだまだ遠き春――「南方週末」事件顛末記
新年早々、日本でも報じられた広東省広州市に本拠地を置く週刊紙「南方週末」編集部のストライキ騒ぎが収束したらしい。
......「らしい」というのは、3日発売になった同紙の新年号が編集部の最終稿から改ざんされたことに対して抗議の声を挙げた記者や編集者が、中国産マイクロブログ「微博」で「きちんとした説明と解決がなされるまでは、一切の編集活動を停止する」と宣言していたから。10日の新聞が何事もなかったかのように新聞スタンドに並んだということは、彼らがいつもどおり仕事を始めた、ということを意味している。
この騒ぎがあっという間にインターネット上で多くの人々を巻き込む騒ぎになったのは、マイクロブログ、それも中国の四大ポータルサイトの一つ「新浪網」が運営する「新浪微博」(以下、「微博」)の「貢献」があってこそだった。
日本のメディアに見習っていただきたいくらい、中国メディア関係者は「微博」使いに長けている。取材ネタや社会事情のぞき以外に、中国人ジャーナリストは取材の過程を報告したり、取材中に見舞われた困難の解決を相談したり、あるいはその途中の不満のガス抜きをしたり、近く発表される自分の記事や媒体の宣伝をしたり、日常生活のヒントを交換したり、もちろん、読者や友人と記事に関する意見交換をしたり、さらには他誌・他紙の記事を推薦、批評したり......と、幅広く利用している。
その中で説得力のある記者、筆力のある記者、話題になった記者は少しずつフォロワーを増やしている。「微博」を所属メディアとはまた別の「情報発信基地」として存分に利用している人も少なくない。もともと鋭い調査報道で人気の高い「南方週末」紙の記者や編集者、そして論説員のアカウントは日頃からそんなフォロワーたちをたくさん引きつけていた。その彼らが揃って「改ざん事件」に対して抗議の声をあげたのだから、その話題は爆発的な威力をもって「微博」を駆け巡り、あまりの盛り上がりぶりに30人余りの関係者のアカウントが凍結された。だが、彼らが放った情報はフォロワーや同業者たちによって転送され、またツイッターにも流れ込んだ。
また、同紙の公式アカウント運営を任されていた編集者が突然、自分の個人アカウントで「上層部にパスワードを差し出せ、と迫られた。今後、公式アカウントの発言にぼくは責任をもたない」と発言。その2分後に公式アカウントから「ネットで流れている(広東省党委員会の宣伝部長が改ざんしたという)噂はでたらめだ。記事は編集部が書いた」という、明らかな火消しを狙った書き込みが出現し、事件の経過を見守る人たちに同紙社内で起こっている複雑な事情を印象づけた。
さらに意外なことに、「新浪微博」の書き込みや関係者アカウントの凍結を担当する人が個人アカウントで、「ぼくが勤めているこの会社は、宣宣(メディアを統括管理する宣伝部)を除いて最も攻撃されているところのはずだ」という書きだしで、殺到する抗議の声に抵抗するかのように、非常に興味深い「微博管理の裏側」を暴露した。
「(微博の)一端は億単位のネットユーザーだが、そのもう一端にいるのは新浪網じゃない。(略)(連中は)民意なんかまったく顧みず、まるでアリを叩き潰すかのように微博をゲームオーバーにすることができるんだよ」
「このゲーム(微博の利用)は犠牲を払ってこそ得ることができるんだ。ぼくらはこういう国情の中で暮らしている。いろいろ特殊で敏感な枷(かせ)を課されつつ、必ずルールを守ってこのゲームを楽しまなくちゃいけないんだ」
「書き込み一本じゃなくて、直接アカウントを凍結するほうが、ずっと楽ちんさ。(略)でも、みんなは削除される前に書き込みを目にしただろ? 書き込みを削除されても、みなさんのアカウントは凍結されずに残っているだろ?」
「宣同学(宣くん、つまり宣伝部)はキミたちの一挙一動を監視している。一旦風が吹いて草がなびけば、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』で神父がキスシーンになるとベルを鳴らして(フィルムを)カットさせたように、あっという間に指令が来るんだよ」
「事件の前と事件が起こったばかりのころ、実はものすごい圧力にさらされていたんだけれど、どうにか持ちこたえて(つぶやかれた)情報すべてをばらまけたのはもう十分大変な成功だった。(新浪の)『新浪伝媒』アカウントは『南方週末』アカウントの書き込み削除直後に削除前と後を比較する報道をしたし、すぐさまそれを(新浪が運営する)『頭条新聞』(トップニュース)アカウントが転送して、10分以内に3万回も転送された。だが、宣同学のお達しがくれば削除するしかない。まぁ、情報はもう流れ出ていった後だったけどね」
「たぶん、うちのボスはまた事情聴取に呼ばれるよ。以上」
...つまり、「南方週末」編集部の訴えは、同紙社屋前に集まった読者や支援者、さらには現場にはいけないが声援を送り続けた全国のネットユーザーの他、こうして当局の指令を受けて情報発信を左右する立場にあった人たちにも大きく支援されて広まったのだった。海外メディアが報じた通り、これらの人々を支えたのは「報道の自由を守れ! 南方週末を潰すな!」という思いだった。
だが、人々が見つめる中、どこからともなく「解決した」という情報が流れ、10日の「南方週末」紙が発売された。ただ、そこでは全国、全世界の注目を集めた自分たちの抗争事件には全く触れられていなかった。
いったい「解決」したのか? ならばどうやって? どんなふうに?
残念ながら今に至るも、「抗議」の声を挙げた「南方週末」紙関係者からなんの説明もないままだ。多くの人たちは「新聞が出たということは、正常運営に戻ったということ」と納得しているが、「報道の自由」はいったいどうなってしまったのか?
説明がないまま一般に信じられている情報によると、「南方週末」紙の編集部員たちは管理当局との間で、(1)「事前検閲」を廃止し、「事後チェック」に切り替えること、(2)黄燦(おう・さん)総編集長の辞任――の2点で合意に達したと言われている。
この2つが何を意味するのか、説明しよう。
まず、「事前検閲」と「事後チェック」の違いである。すでに広く知られているが、中国のメディアは原則上すべて宣伝部(中国共産党中央の宣伝部は「中央宣伝部」と呼ばれ、各省、各市にそれぞれ宣伝部がある。各メディアがどこに所属するかによって担当レベルが違う)の管理、検閲を受けている。「南方週末」の管理担当は広東省党委員会宣伝部である。
業界関係者によると、中国の新聞、雑誌という紙メディアは一般に「事後チェック」を実施している。編集部が記者が上げてきた原稿をチェック、レイアウト、ゲラ(印刷イメージ)作りという編集を終えてから、総編集長が最終チェックしてオーケーを出したものが印刷に回される。この総編集長には、一般に管理担当の宣伝部が政治的にも問題ないと信頼する、経験豊かな編集者が任命されることになっているため、ある意味、宣伝部が編集部内に席を置く総編集長に「検閲を委託」するという形を取るわけだ。
一方、「事前検閲」は記者から原稿が上がってきた時点で管理担当者がそれを検閲するという方法だ。編集者の手に渡る前に原稿が削除されたり、訂正を求められたりといった形になり、ある意味編集者の役割はそこで完全に無視される。さらに言えば、すでに管理当局が手を入れた原稿には編集者は口をはさむ余地がなくなってしまう。だが、この「事前検閲」は、毎日大量のニュース原稿を処理しなければならない新聞、そしてやはり大量の記事を準備する雑誌の発行ローテーションに見合わないために、現在使われていないという(一部政府系メディアを除く)。
実は「南方週末」紙も以前は他の新聞雑誌と同じように、総編集長に委託する形の「事後チェック」が行われていた。それを、昨年5月に国営通信社新華社の副社長から広東省の宣伝部長に異動してきた庹震(たく・しん)氏が、同紙が1週間に1回の発売体制を取る新聞であることを理由に「事前検閲」に切り替えたらしい。もともと突っ込んだ評論や調査報道を得意とする同紙の矛先を鈍らせるためであるのが目的だったことは、言わずもがなだろう。
この「事前チェック」は明らかに、誇り高い(そして報道に自信を持っていた)編集部員の気持ちを大きく傷つけた。逆に言えば、庹震氏が指名してその職についた黄燦総編集長も信用されていない、という証拠でもある。実際に、今回問題になった新年号の記事書き換えは、庹震宣伝部長が電話で口述したものを黄燦総編集長が文字に書き起こし、準備済みの記事と差し替えて、そのまま印刷所へ送られたと言われている。つまり、黄燦総編集長は「事前チェック」が導入された編集部員たちの傷口にさらに塩を塗ったわけだ。
だが、そんな黄燦氏の辞職と「事後チェック」導入が編集部員の抗議活動を収束させたのであれば、編集部員が求めたのは「報道の自由」というよりも「編集の自主裁量権」だったことになる。いや、実のところよく読みなおしてみると分かるのだが、編集部関係者から出てきた情報や声明には、一切「報道の自由」という言葉は使われていなかった。「報道の自由」は同紙社屋前に集まった、あるいはネットでエールを送る支援者たちの叫びだった。
実は「南方週末」紙編集部関係者は最初から、非常に注意深く言葉を選んで抗議した。関係者は微博アカウントが凍結された後、ほとんど外部の支援者の前に姿を現さなくなり、取材に訪れた多くの海外メディア(国内メディアではすぐに関連報道の禁止令が降りている)が報道したのも編集部員の声の取材ではなく、社屋を囲んで声を上げる人たちの様子だけだった。確かに、そこでは「報道の自由」が叫ばれていた。
これが海外でニュースになったのも「報道の自由」のスローガンが出現したからだ。逆に言えば、中国国内で「報道の自由」を求めて抗議をすることが、そしてその要求を呑ませることがどれだけ大変か、ということを証明するものでもある。数々のぎりぎりの調査報道をこなし、また過去多くの所属記者や編集者がその危険地帯に乗り込んで追放された「南方週末」紙の編集部員は、その難しさを最もよく分かっている。彼らはここで一足飛びにその危険地帯に乗り込んで新聞ごと自滅するリスクをとるよりも、最悪の状態に陥った同紙にまず「編集の自主裁量権」を取り戻すことに力を注いだのだった。
このような選択を、同紙と深い関係にあるジャーナリストは、「彼らがどうしてそのような判断をしたのかよく分かるが、今の時代は昔と違う。彼らは外に集まってエールを送った人たちの期待に答えようとするべきだった」と言った。
確かに、この事件を「報道の自由」と結びつけて応援した人たちにとって、あまりにもあっけない幕切れだった。今に至るもどう解決したのか、わからないのである。また一部では「黄燦氏は今のところまだ辞職しておらず、今年3月の政治会議のシーズン(今年は国家主席と首相が交替する)まで観察を続ける必要がある」という悠長な話も流れている。
だが、今回の事件はさまざまなところに波及した。編集部に賛同して当局に対し、激しい抗議の声をあげていた社会活動家2人が拘束され、その他日頃から反体制派と見られる活動家が各地で監視下に置かれた。微博上で「南方週末」にエールを送った台湾のタレント、伊能静さんも滞在中の中国で当局に事情聴取に呼び出され、今後中国での仕事が難しくなるのではないか、と伝えられている。伊能さんの事情聴取はネットユーザーのさらなる注目を呼んでおり、「我々と文明の間には(中国と台湾を隔てるような)海峡が横たわっている」と著名コラムニストの五岳散人氏はつぶやいた。
さらに北京で発行される新聞「新京報」でも、政府系新聞「環球時報」が掲載した「南方週末紙事件批判」社説の転載を求められ、編集部員で投票が行われて全員一致で「拒絶」を選択したにもかかわらず、それでも「掲載かお取り潰しか」と迫ってくる当局関係者を前に社主と編集長が辞職を宣言し、編集部員たちを絶望させるという事件も起こった。
いや、一説によると、件の「環球時報」の「南方週末紙事件批判」社説も、実はもともと「環球時報」論説員がやんわりと「南方週末」編集部を批判した社説に当局者が文言を書き足して、厳しい論調に書き換えたという。「あの厳しい言葉は我々が書いたんじゃない」と微博アカウントでぽろりともらした「環球時報」紙編集長がこれまた当局のお叱りに遭ったといわれ、体制派も民主派も巻き込んだ、もう笑うに笑えない騒ぎにまで発展している。
「事件は一応収束した。『南方週末』も『新京報』も何事もなかったように新聞を出し続けていることでそれが証明された。この事件は検閲制度の存在を、今までそれを知らなかった人たちの目の前に暴露した。だが、メディアは人々の『報道の自由』への期待に応えられたとはいえない。メディアへの検閲制度も今後もしかしたらもっともっと厳しくなるのかもしれない」
ある中国人ジャーナリストはこう言ってため息をついた。
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