重慶事件から占う中国の明日
先月の中国共産党トップの総入れ替え後、数回にかけてこのコラムでも新指導部トップ情報について書いてきたが、だんだん一般の日本人読者はあまり中国指導者の詳細な横顔には興味がないことがわかってきた。実際のところ、これまでの経験でわたしもそんな気がしていたのだが、あまりに日本の新聞雑誌、そして中国研究者たちが指導者の横顔を事細かに伝えているし、また現実に中国社会でも良くも悪くも「今後の変化」と重なる、トップの横顔分析が盛んなので、ちょっとその真似をしてみたのだった。
確かに、中国の話題は指導者にまつわるものばかりではない。そしてそちらを理解する方が「今の中国を知る」ためにはずっとずっと示唆に富む。このことをわたしは最近、再度深く感じている。
それを痛感したのが、今週発売されて大きな話題を集めている雑誌「南都週刊」の特集記事だった。その特集テーマはずばり「起底王立軍:王立軍の素性調査」。王立軍とは今年2月に成都市にあるアメリカ総領事館へ政治庇護を求めて逃げ込んだ、あの元重慶市公安局長である。当時はまだ次期中国共産党常任委員の有力候補と目されていた重慶市党書記、薄煕来の腹心として過去約3年半、厳しい「犯罪組織取り締まり」キャンペーンを展開し、全国各地の政府機関から熱い注目を浴びたという「スター級」の人物だった。
アメリカ領事館に駆け込んだものの政治庇護を拒絶され、結局王は説得に応じて中国の公安に出頭した。その後まず薄煕来夫人の谷開来がイギリス人ビジネスマン毒殺事件の首謀者として逮捕され、次に薄煕来が失脚。薄はずっと幽閉され、その情報は伝わってこなかったが、党大会の直前の10月に党員資格を剥奪され、完全に現指導体制下でのチャンスは断たれたと見られている。
「南都週刊」編集部は約1年の時間をかけて、この大きなうねりをつくるきっかけを作った王の周辺を取材したという。実際には現在すでに新市政トップが就任した重慶でも、まだ薄と王の失脚を残念がる声が多いのも事実だ。9月の反日デモでも薄の復帰を願う横断幕が出現した。それはなぜなのか、ここで悲喜劇ともいえるドラマの主役を演じた王という人物の素性が詳しく語られている。
わたしがこの特集を読みながら感じたのは、王立軍という人物はある意味「現代の中国人くさい中国人だなぁ」ということだった。
例えば、今年2月2日に薄煕来によって重慶市公安局長の職を解かれた後、そのストレスを激化させ、避難策――アメリカ領事館に飛びこんだ。こんなストレートな感情表現は程度の違いこそあれ、わたしが何度も目にしてきた「直情型」中国人そのものだ。
駆け込み事件後明らかになった事実の、複雑怪奇なほどに幾重も絡み合った人間関係もまた中国らしい。複雑さの陰に現れる思いもしないような単純さや偶然性も、そこは中国を知るものなら誰しも苦笑してしまうだろう。逆に肩に力を入れて外から眺める者にとって、そんな「単純さと偶然と複雑怪奇さの同時進行」が中国をますますわかりにくくしている。
「南都週刊」の記事によると、王と薄煕来の出会いはこれまで遼寧省で要職を務めていた頃とされていたが、実際に関係を深めたのは2007年、薄夫人の谷開来が自分が常用していた漢方薬に鉛や水銀などが混入されていたことを知り、人を介して当時遼寧省の錦州市公安局長を務めていた王に相談したのがきっかけだったという。この時、薄はすでに重慶市党書記として赴任しており、事件をうまく処理したことで薄への推薦を受けた。
翌年8月、王は重慶市公安局長として赴任(同市は中国の四大直轄市の一つで、省と同レベル。つまり王は遼寧省錦州市公安局長から省レベルの公安局長に引きぬかれた)した後、まずは警察(=公安)システムの再構築を計画、最初にすべての警官を一度その職からはずし、再雇用の方法を取った。
これは「犯罪の徹底取り締まり」を掲げた王が「過去の悪習慣にまみれて腐ったシステムを根本的に叩きなおす」ためとしては有効な方法に見える一方で、その過程で王が「忠誠を重視した」という証言もある。そして実際に王は次々と遼寧省時代の仲間を呼び寄せて重要職につけ、大規模な「犯罪取り締まり」を展開して、全国の注目を集めた。
一方では警察の高学歴化、高機能化を目指して、大学卒などの高学歴を持つ者を意欲的に雇用し、警察力の高レベル化、精鋭化を目的に機材や設備への投資も熱心に行った。これが、重慶の高学歴者の間で今でも薄・王時代を懐かしむ理由となっている。
王は「頭の悪い自分勝手なバカもの」でもなかった。書道の腕前は自分の名刺にもそれを使うほどで、また詩を愛したという。何度も公開の場で詩を取り上げたり、古書からの抜粋を部下たちに聞かせた。そして、自分なりの正義感も持っていたのは間違いなく、錦州市局長時代にも「犯罪組織取り締まり」で名をはせた過去を持つ。
また彼は派手なこと、目立つこと、そしてドラマチックな演出も好きだったという。
29歳まで最終学歴が中学卒業だった王は、1984年に遼寧省の鉄道公安局に入り、その4年後に中専教育試験を受けて高校卒業程度の資格を得た。92年に同省鉄遼市鉄道公安局副局長になってから、今度は中国人民公安大学で大卒に準じる学歴を取得。その後も学歴の取得には熱心だったとみえ、今年初めには国内外の大学や研究所の兼任教授など29の肩書きを身につけていた。
同誌の取材によると、実際にはその海外での経歴は「お金を出せば買えるところばかり」で、また国内での「教授」職も交流に訪れた先でもちかけて手に入れたことが記録されている。一方で中華圏では著名な中国系米国人鑑定家とも「19年間の付き合い」と豪語していたが、本人に確認したところ「王の名前すら覚えていない」ことが分かったという。
また王は、公安局内に自分の活動を記録し、報道するための「藍精霊」グループを組織した。青い制服を身に着けていたのでこう呼ばれたこの20人余りのグループに、忠実に自分の言動を記録させた。そして出来上がったものを紙に印刷させ、ディスクにコピーさせて、自分で一つ一つチェックし、合格不合格を決めた。王に関わる報道はすべてこの「藍精霊」部隊の手によって作られ、王のメガネにかなった資料で成り立っているのだそうだ。
彼の名声を高めた「犯罪組織取り締まり」作戦では、装甲車や戦車に先導させた5、6キロも続く車両チームを郊外に向かわせ、翌日にはミサイルやサブマシンガンを手にした特別警察官や武装警察官を送り込んだ。そして目標の鍾乳洞をミサイルで破壊しようとしたが、さすがに同行した国家公安部の関係者が認めなかったという。この作戦に参加した元部下は記者に対して、王が鍾乳洞を破壊しようとしたのは「ドラマチックな衝突場面を作るため」だったと証言している。
......とにかく、読めば読むほどきりがないくらいの「大きく派手なことが好きな人」だというのはよく分かる。救いなのはこの「南都週刊」の記事が、王立軍という「犯罪者と断定された人間を叩きのめす」という、中国の伝統的な悪者叩きプロパガンダの文調ではないことだ。王が過去何をし、どうして重慶にやってきたのか、そして重慶で何をやったのか...が、淡々とした筆致で関係者周囲の証言で報告されている。
やったことの「大げさ」な内容はともかくとして、それをやろうとする王立軍という人間が取った行動は、前述したようにわたしがたびたび目にしてきた「普通の中国人」にそっくりだ。そんな人物が偶然、大きな権力者に目を付けられ、大きな仕事を任されてその任務を遂行すべく、真面目に取り組んだ――この「真面目」というのは法律的な善悪の概念や判断基準ではなく、それとは別の「真面目で真剣であることが美しい」的な意味である。
だが、そんな真面目な人間のやった「大げさな仕事」も、自分を取り立ててくれた人物との間に入った亀裂がもとで破綻する――王の米領事館への駆け込みの引き金となったのは、谷開来との関係崩壊だった。その流れについても同誌の特集は詳細に述べている。
直接の原因は、谷の息子と知己のイギリス人ビジネスマン、ニール・ヘイウッドとのビジネストラブルで、谷は自分の息子を心配する余り、「相手はガイジン、手を出せない」と言った王に不満を持った。だが一方で、谷が自分の部下に相談するのを王は警戒していたという。結局、ヘイウッドを毒殺するという計画に王は協力し、毒殺事件をアルコール中毒死として処理したものの、犯行直後の谷がかけた電話を取らなかったことなどで、二人の関係は悪化したという。
その後二人の関係は、谷が王の不在時にその部下たちを宴会でもてなしただの、王の身辺の職員を谷が権力を使って異動させ、事情聴取したなどの出来事が続き、両者の関係は悪化の一途をたどった。このあたりの経過はまるで小説のようだ。そして「物語」は、結果的に谷や薄も巻き込んでの大失脚劇となった。
その後逮捕された谷は今年8月に殺人罪で執行猶予付きの死刑、政治権利の終身剥奪という判決を受けている。また、王立軍も9月に懲役15年、1年間の政治権利剥奪とされた。
だが、この薄王時代の残影はまだ終わっていない。というのも、前述したように薄の時代を懐かしむ人たちがまだ多くいること。そしてさらに気になっているのが、重慶で薄煕来が進めようとした政策のいくつかが、ここ数週間の中国で実施されているように感じていることだ。
例えば、王が「全国初」と胸を張った重慶市の情報管理。携帯会社や金融機関から顧客の個人情報を提出させ、公安機関のコンピュータに登録させるというもので、そこでは「法律の執行のためには、人員情報の確定、盗聴も辞さず」と豪語していた。
その結果、ネット申し込み、電話利用、航空チケット購入、クレジットカード使用のたびに情報が記録され、「12分半ほどの時間で本人確認が可能になった」そうだ。さらにこのシステムを使って、2010年には春節(旧正月)5日前から要注意人物4000人が重慶入りしたが、「そのうち3400人に口頭で警告し、48時間以内に退去させた」という。
ここ数週間、中国のネットでは深刻なネットアクセス障害が起きている。多くの個人や企業が海外サイトにアクセスするために使っている技術がブロックされ始めた。今月18日には「ネットは法外の地ではない」というタイトルで、ネット言論に釘を刺すコラムも共産党機関紙「人民日報」に掲載されて、議論を呼んだ。
王立軍は「10人のうち2人の大富豪を叩き潰せば、残った2人の富豪は自然に手持ちを差し出す。それをみんなに分け与えれば残りの6人は喝采する」と言ったプーチンの言葉を取り上げて、「それが庶民というもの」と語っていたという。王や薄煕来が進めた「犯罪組織取り締まり」キャンペーンには民営企業経営者や彼らを援護する弁護士なども多く含まれていたことがわかっており、そのために「現代版文革」と呼ばれた。
民営企業と国営企業の関係は、実は今の中国全体でも「国進民退」と言われ、大きな問題になっている。国の政策が国営企業有利に働き、民営企業がやせ細っている、という意味だ。このまま行けば、1980年代から続いた改革開放政策が逆戻りするのでは、という心配も語られている。
実はこの「南都週刊」の記事では、王を歴史の舞台に立たせた、最も重要な人物である薄煕来個人にはあまり触れていない。薄煕来については、今週木曜日発行されるはずだった週刊新聞「南方週末」が彼に関する記事を載せたために検閲に触れ、記事の入れ替えを命じられたために印刷が間に合わず、発行日に新聞スタンドに並べることができなかった、という噂も流れている。
つまり、「薄煕来」は党員の資格を剥奪されたのに、まだまだセンシティブな立場にある事がわかる。これが何を意味するのか。丸裸にされた王立軍と守られ続ける薄煕来。見えない何かにまだまだ不気味なムードが漂っている。
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