「留守児童」たち
先日、「南方週末」紙上のこんな記事が目に留まった。
「中国の農村における『留守児童』は、政府の統計によると5800万人。そのうち苦労しても大学に上がれるのは少数だ。2012年4月16日の『南方都市報』の報道によると、都市育ちの学生が重点大学(注:政府の重点支援校)に入学するチャンスは農村育ちの3.1倍、一般大学でもその入学率は農村育ちの子供たちの1.4倍という。人気も社会的位置づけも高い大学になればなるほど、農村子女には敷居が高い。我々が毎日顔を合わせている学生の『留守児童』率は高めだが、2010年から彼らにアンケート調査をするのをやめた。彼らの自尊心に影響するからだ」
「留守児童」というのは、農村で両親が他の街へ出稼ぎに行き、祖父母や親戚のもとに預けられたまま育つ子供のこと。親が子供を連れて行かないのは、まず仕事が忙しくて面倒を見きれないため。次に都市での生活は出費がかさみ、子供のもろもろの養育費も農村の方が安いため。三つ目が戸籍の問題で、現制度下では人は街へ引っ越しても戸籍は自由に動かせない。そのために出稼ぎ先で子供を学校にやろうにもさまざまな制約があり、また高校入試、大学入試などの節目は戸籍所在地での受験のみに限定されているため、出稼ぎに出る親たちは、戸籍所在地の農村で暮らす、自分の両親や親戚に子供たちを預ける。
これはある意味、親族間の団結や人間関係が濃い中国ならではの習慣だと思っていた。実際に若者たちが「妹」と呼ぶ人物が実はいとこだったり、と、親族の中での「輩分」(世代関係)だけでお互いをフラットに見る関係がまだ根強い。叔母に当たる人が親戚の子供たちの面倒を見たりなどという話はよく聞くし、どうしても共同体意識の高い農村ではそれが普通にやれるのだろうと、わたしは理解していた。だが、現実は少々違うようだ。
前掲の記事を書いた、海南大学で教鞭を取る王小妮教授は、各都市から集まってきた学生にアンケートでその出自を尋ねなくても、彼らの提出する以下のようなレポートから彼らの生い立ちを読み取ることができると言う。
「小さなころから両親は出稼ぎに出ており、わたしの子供時代は親戚の家をたらいまわしにされて過ごした。本当のことを言うと、他人の家で暮らすのは決して気持ちのよいものではない...」
「家はとても貧しくて、姉妹も多かった。だから小さい時から数千キロも離れた四川省の祖父母に預けられていた。6歳の時、母が迎えに来て一緒に暮らすようになったが、心の中で祖父母を恋しく思う気持ちが『家』に対する恐怖に変わった...」
「体の成長は物質資源によって支えられ、心の成長は感情資源によって支えられる。我々は十分に愛されて育って初めて人を愛する力をもてるのだ...この社会は冷たく、残酷で、人を傷つける。社会は反省すべきだ。そこでは『仁者』はいるが、『人を愛する』ことはない」
王教授によると、親と離れて暮らして育った子供たちには両親のイメージがあまりなく、思い出すのは育ててくれた老人ばかり。彼らには空っぽの家、そして空っぽのふるさとの記憶しかなく、社会を生きていくための準備を親から学ぶための時間も持てないまま育ち、多くの場合彼らの生活基準は「食べること、寒さから身を守ること」という本能的なものにとどまっており、それが脅かされるとすぐにその基準がもっと下のレベルへと下がっていく。そんなふうにどこまで生存の基準を引き下げ続けることができるか...というのが、王教授の観察だ。
農村暮らしの祖父母がこれから社会に出て行く子供たちにできることは少なく、コンピュータを前にしても手も足も出ない。情報社会に足を踏み出した子供たちには祖父母よりコンピュータの方が先進的だ。そんな状況で祖父母の言うことなど子供たちの耳には届かず、そうして家庭内の結びつきは薄まっていく。旧正月休みにやっと家に帰ってきた両親は顔を見た途端気忙しく「学校は?」「成績は?」と尻を叩くだけ。親たちにとっては子供の将来を考えるうえで最大の関心ごとなのだが、それが親に1年に数日しか会えない子供にとって煩わしい記憶になる。
王教授があぶなげないと感じている学生たちは「留守児童」だが、大学に入学できた幸運児である。農村出身者にとって大学進学は大手を振って農村から大学所在地に戸籍を移すことのできる「新たな一歩」となる。だが大学を卒業すれば、戸籍を保証してくれる企業に就職しない限り戸籍は出身地に戻さなければならない。これは氷山の一角なのだ。つまり大学に進学しなかった農村出身者の中にはもっと挫折感、欠乏感に苛まれ続けている子供たちがいる。
「高三のときから都市の子供たちと机を並べているが、成績でも生活面でも彼らにはかなわない。自分はただの田舎者に思えて仕方がない。一生懸命努力して、歯を食いしばって勉強しても成績が上がらない。自分の学生生活はプレッシャーのせいでちょっと鬱のような気分だった」
上述の統計のように農村出身者で重点大学に入学する学生はわずか2割に満たず、北京大学に限っていえば、2010年入学生に農村出身者が占める割合はわずか10%だった。55年生まれの王教授によると、70年代はそれが50%を超えていたという。だが、王教授が教える海南大学では現在もその割合が過半数を超えているそうだ。同教授はそんな学生たちの成長の記録を毎年のように「南方週末」紙に寄稿している。
ある学生は1年生のときからファーストフードチェーン店でアルバイトをしている。彼は教授に、そこで見たお客、優しい女性客やおごりたかぶった金持ちの話、配達用のバイクのヘルメットがどうなっているとか、昇給テストの時に関係者に「贈り物」をしなかったから合格できなかったと話をする。彼にとってはそれが「社会」なのだ。さらにバイト先で行った社内旅行が生まれて初めての旅行で、「『旅行』って、車に乗って行った土地で下車してぐるりと回ってから、また車に乗って帰ってくることなんですね」と、うきうきと報告したという。
日本の大学生からすれば信じられないようなウブな話で、読めば読むほど愕然とする。王教授によればそんな学生は珍しくもなんともない。学生たちのほとんどが大学入学時に生まれて初めて故郷を離れ、生まれて初めて列車に乗る。もちろん、彼らももし大学に入らなければ、今も鉄道すらも見たことがないまま暮らしていたはずだという。そんな彼らの故郷では「大学まで行ったんだ、もう戻ってくるんじゃない」と言われる。実際に、大学進学時に農村から一旦戸籍を抜いた彼らが4年後にUターンしても、彼に分配されていた農地は戸籍を抜いた時点で公に返還され、それを取り戻すことができない制度になっている。
先日発表された統計によると、今年大学に入学する人たちの数は全国で約685万人(!)。だが、その中には王教授が見つめているような、故郷に心の支えを見つけられず、また帰っていく家もなく、背水の陣でおそるおそる大学生活に足を踏み入れる「留守児童」たちが多く含まれている。
新学期は晴れある始まりだ。メディアの多くは9月を前に「晴れある大学生」「新しい生活!」といったイメージでしか語らない。だが、このレポートではそんなメディアの報道にはなかった、中国の大学生たちの知らなかった一面を見た。我々からすれば絶望的なまでに見える貧しさ、そして頼るもののいない寂しさから幸運にも抜け出すチャンスを見つけた彼らは、今後どんな人生を歩んでいくのだろうか。
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