泣くも「高考」、笑うも「高考」

2012年6月10日(日)19時44分
ふるまい よしこ

 かつて一緒に仕事をしたことがある中国人翻訳家から昨年夏、わたしの携帯電話に突然メッセージが届いた。「おじゃまします。息子にアモイ大学の入学許可が来ました。とてもうれしい気持ちを皆さんと分け合いたいと思います」。それほど家族ぐるみの付き合いどころか、日頃からそれほど行き来があったわけでもないのでちょっと驚いたが、彼女の素直な喜びに祝福の言葉を返しておいた。

 こういうこともあった。つい数年前まで中国には連休と言えば、「春節」と呼ばれる旧正月、そしてメーデー、さらに建国記念日に当たる「国慶節」をそれぞれ軸にした7日間のゴールデンウィークしかなかった。人々は特に春のメーデー、秋の国慶節休みをレジャーに費やす。だが、数年の国慶節に当時の大家夫人と連絡を取った時に「出かけないの? ご主人も娘さんもせっかく一緒にお休みが取れるときでしょうに」と言ったら、「高考よ、高考。娘の高考が終わるまでお楽しみはお預け」と渋い顔をした。

「高考」とは「高等教育入学考試」の略。「高等教育」は中国では高等学府つまり大学を指し(中国では高校は中学の一部とされて「高中」と呼ばれ、日本でいう中学校の「初中」と区別される)、毎年6月初めに全国一斉で行われる。中国の大学進学率は全国平均ではまだ40%に満たず、短大進学も含めて50%を上回る日本に比べてまだ低いが、その分大学を目指す人たちにとっては「狭き門」ということになる。

 一方で都市部では突出してその進学率が高い。北京市では昨年55%を突破したといい、前掲の大家夫人によると、「うちの子の成績ではトップ大学は無理だけど、とにかく大学だけは出しとかないと。良い職にも就けない」と、周囲の人たちもみな大学を目指しているんだからとかなり切羽詰った表情を浮かべていた。

「大学進学が一生を決める」と言ったことのある、先の通訳さんのご家庭は息子さんが通っていた学校が中高一貫のほぼエスカレーター式だからと、高校入試(「中考」と呼ばれる)はのんびりしたものだった。大家一家も「中考」の時はまだそれほどぴりぴりした様子はいなかった。だからこそ、と言うべきかもしれないが、「高考」へのこの二家族が見せた力の入れようはちょっと意外だった。

 今年もそんなぴりぴりとした「高考」が先週やっと終わった。一人っ子時代だからなおさらのこと、親も一投入魂とばかりにこの二日間に賭ける。いや、実際に「賭ける」のは試験場に入る子供たちなのだが、多くの親たちが子供に付き添って試験場の入り口までやってきて、そこでずっと試験が終わって出てくるのを待っている。そんな光景が中国の「高考」の風物詩だ。

 その「付き添い」は親たちにとってある種の儀式のようなものらしく、たとえば両親ともに都会に働きに出ている家庭でも、日頃は故郷の親戚の家に預けて学校に通わせているわが子が「高考だから」とわざわざ休みをとり、付き添うためにトンボ帰りする。日頃は1年に1回だけ旧正月にしか帰郷せずに働きづめの人たちが、である。はたから見れば、日頃一緒に暮らしているわけでもない親がわざわざ「高考」のために帰ってくるなんて、子供にとってはプレッシャーが増すばかりだろう、と思うが、逆にそれが心強いはずだといわれる。

 中国の受験はまず受験生本人の戸籍所在地で区画されている。中国では居住戸籍をまだそれほど自由に移動させられないので、子供たちはたとえば幼い頃は親と共に出稼ぎ先(つまり戸籍が移せないので、何年その土地で働こうが親も「出稼ぎ」状態のままなのだ)と一緒に暮らしていても、学童期になると親の出身地(戸籍所在地)に残った祖父母や親戚の家に預けられて学校に通う子供たちが増える。そうやってその後の「中考」や「高考」に備えるしかないのである。

 中国の大学の学生募集も、各大学の各学部学科がそれぞれ「どの省から何人取るか」という形で学生募集枠を設けている。そしてその枠を前提に合格者を決めるため、一つの大学の学部学科でも省ごとに別々の合格点が定められる。たとえば、ある学科を目指して不合格となったA省戸籍の学生より合格したB省出身の学生の取得点数が低い、というのが普通に起こる。また、ある学科はC省では学生を募集してもD省はゼロ募集、という場合もある。そうなると、D省戸籍の学生はどんなに成績が良くても希望の学科には進めない。

 そんなの不公平だ!という声も受験生の周辺から毎年あがる。確かに非常に中国的な紋きりタイプの措置で、受験生にとっていかんともしがたい不公平感はある。だが国土が広く、学習環境が統一されておらず、また少数民族や山間部居住者など複雑な事情を抱える中国が編み出した苦肉の策でもある。地域ごとにどうしても学校教育の充実度にばらつきがあり過ぎるため、逆に合格点を全国統一すれば、条件的に恵まれた都会出身の受験生に有利になってしまう。とは言え、人気大学や学科になればなるほど都会の募集枠は大きく、農業など産業系は地方枠が大きいのだが(この辺は地方出身の学生に地元に戻って就職させるための意図があるらしい)。

 一方で、その学生募集枠のばらつきと合格点の差に目をつけ、わざわざ子供の戸籍を受験直前に競争の激しい都会から学力レベルの低い地方に移し、そこで受験させて合格を狙う、という現代版「孟母三遷」のような親も過去出現した。だがそれに対抗して教育当局も受験枠を「転入居から×年以降の者」と設定。その結果、受験数か月前に急きょ都会から地方へ戸籍を動かしたもののこの居住制限枠条件にひっかかり受験できず、ならばと元の都会に戸籍を戻すもすでに時遅し、受験申込に間に合わずにいわゆる「浪人」するか受験をあきらめるしかない、という、当の受験生にとっては全くはた迷惑な騒動も過去話題に上がっていた。

 この「失敗版孟母」報道はこのところあまり目にしなくなった。だが試験場の門前に雲集した親たちの力の入れようを見る限り、針の穴を抜くほどのチャンスでも賭けたいという思いの親はいまだに存在するはずだ。この国では実際に、すべてにおいてほんの一瞬の機転がモノをいうことが多すぎる。まさに上述したような、親が働く都会では戸籍が取れず受験ができないために、思春期の子供を泣く泣く田舎の親戚に預けて別居している家庭にとっては、「高考」という晴れの舞台はある意味、何が何でも合格してほしい最終ゴールなのだ。

 だからいつもこの時期には試験場内よりも、場外の様子がドラマだ。交通渋滞に巻き込まれないようにと受験生の乗るバスをパトカーが先導したり、公共交通は信用ならん、と親たちがバイクや自転車の後ろにわが子を乗せて走ったり。街が「高考」のために特別態勢に入り、この日だけは交通違反も「わが子が高考で...」でコワモテの交通警官のお目こぼしにあずかることができる、という話も聞く。

 それでも今年もさまざまな理由でわずか数分遅刻した受験生が門前払いをくらい、門前に跪いて「入れてくれ」と懇願したという親の姿や、英語の聞き取りテストの妨害になるから、と近くを走る車やバイク、時には自転車の前に親たちが立ちはだかって「押して歩け!」と親たちが取り囲んで迫り、通行人たちと大ゲンカ(そっちの方が邪魔じゃないのかね?)になったり、という話が続く。中には、遅刻で試験場に入れなかった受験生が衝動的に道路に飛び出して自殺を図ったというニュースまで流れ、そこまで切羽詰っているのか、と思わざるを得ないほどだ。

 ともあれ、今年の「高考」受験生は全国で約900万人。過去最多だった2008年に比べて140万人減というが、ものすごい数だ。このうち約75%に大学の門が開かれるはずだという。彼らの多くが今やっと枕を高くして眠れるようになったことだろう。苦しかったかもしれないけれど、人生で一番夢と希望に満ちた時でもある。若者たちの未来に幸多かれ、と祈りたい。

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