「皇室フィクション小説」を書評が黙殺する理由
自主規制の心理は天皇制の議論に影響している(2019年)Issei Kato-REUTERS
<映画監督・作家の森達也氏が書いた上皇ご夫妻が登場するフィクション小説が、新聞や雑誌の書評から黙殺されている。皇室や天皇制への思い込みを揺さぶる作品を「自主規制」する心理>
オウム真理教を内側から撮影したドキュメンタリー映画『A』『A2』や、実は誰も禁止していないのに「放送タブー」がつくられる謎に迫った『放送禁止歌』など、固定観念や常識、思い込みを鮮やかにひっくり返す作品を作り続けてきた映画監督・作家の森達也氏(66)。3月に出た最新作の『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)は、上皇ご夫妻の映像ドキュメンタリーを撮ろうとする「克也」が、2人と皇居の地下にある架空の迷宮を探るフィクション小説だ。
皇室や天皇制への思い込みを揺さぶる作品だが、なぜか新聞や雑誌の書評欄からは黙殺され続け、先日ついに書評が一切出ないまま増刷が決まった。皇室ファミリーのプライバシーを消費しつつ、天皇制そのものについては議論したがらないのは何もメディアに限らない。なぜ書評が出ないのか、『A』と共通する現象、そして自主規制する心理――森氏に聞いた。(インタビューは5月17日)
――書評なし、で増刷が決まったそうで、おめでとうございます(笑)。で、なぜ書評が出ないのでしょうか?
森:本が出る前に、担当の現代書館代表の菊地(泰博)さんに「僕は著者インタビューを受けるつもりないから」と言っていたんです。映画の場合もそうですが、作った人がべらべら作品についてしゃべるべきじゃない、という気持ちがあったので。特に今回はその思いが強かった。
ただこれだけ書評が出ないと、著者インタビューを受けるしかないかと。実は著者インタビューは長岡さんで5本目なんです。週刊金曜日、東京新聞、創、毎日新聞。あとまだ記事は出ていないけれど共同通信からもインタビューされました。(著者インタビューは)普通以上にオファーが来るんだけど、書評だけがなぜか出ない。
――新聞の書評で取り上げる本の選ばれ方ですが......。
森:書評委員会というのがあって、そこで書評委員の人たちが集まって、「私は今回はこれ」「じゃあ、私はこれ」という感じで選ぶと聞いています。週刊朝日と週刊文春には知り合いがいるので、出る前に「こういう本が出るけど書評どうかな?」と聞いたら、「ああ、(担当に)言っときますよ」という話だったんだけど、どちらもその後「書評担当から『ちょっとこの本はダメだ』と言われた」と返事が来て。もちろん編集権があるから、文句は言えない。いろんな判断があって当然です。でも、これだけピタリと沈黙してしまうと不思議な感じがしますね。
――読めば分かるが、内容は不敬どころか、森さんの「敬」ばかりです。
森:菊地さんは「これ左翼からものすごい反発が来るよ」と言ってました。
――メディアの側からすると恐れるべきは左翼より右翼のテロで、明らかにそういう内容でないのに自己規制するのは『A』と重なる部分があります。
森:ありますね。感覚が近いところがある。
――読んでいないんじゃないかと思うんです。読む前に、「天皇制」「森達也」というくくりだけで判断して、自己規制しているのではないか。
森:『A』の時に経験したんですが、試写会をやると記者やディレクターがたくさん来る。で、みんな興奮して帰っていく。「これはすごい映画だ」「ぜひうちで記事を書きますから」と。ところがその後、全然連絡がない。プロデューサーの安岡(卓治氏)がたまりかねて連絡すると、「いや、私は書きたいのだが上が」と言われる。
(この本も)「ちょっとこれはうちで扱うのは......」とか、もしくは見た人、読んだ人も「上が......」と(いう反応になる)。上の人は見ても読んでもいないわけで、そういう意味では「いつか来た道だ」と。
――フィクションなのですが。
森:日本の場合は、深沢(七郎)さんの『風流夢譚』事件 (注1)があった。あれもフィクションだけど1人亡くなっていますから。ナーバスになるのは分かるけど、ナーバスになるあまり誰もものが言えない、書けない状態になるのはメディアやジャーナリズムとしては......。
――『風流夢譚』は天皇制そのものに対する攻撃と捉えられる内容ですが、森さんのこの本はそうではない。
森:天皇制について言いたいことはありますし、危険性を非常に強くはらんでいるシステムであるとも思っていますけど、同時に今の上皇ご夫妻については文中の山本太郎の言葉じゃないけど、お慕い申し上げますみたいな気持ちは確かにある。
――自分の親のような感じなのでしょうか。
森:天皇が自分の親のような、という言い方をよくする人がいますが、僕は全然その感覚はない。会ったこともないんだから、好きとか嫌いと思うことも本当は感情としては不自然だな、と思うんです。僕も結局一つの作り上げられた虚像しか見ていない。でも、それにしてもその虚像の集大成が何となく自分の中ではすごく親しみのある、しかも、いろんな意味でこの国について思うところと、とてもシンパシーを感じてしまっていて......。ただし、これは僕の妄想ですから。
――(上皇ご夫妻が)ジャージを着ているっていう表現がすごく新鮮でした。私的な会話も当然しているはず。メールもたぶん使ってるし、携帯も持ってて当たり前です。当たり前が遮断されていることが問題で、そういうところを刺激してくれる小説でした。
森:見てはいけないものとか、できればあまり言葉にしないほうがいいものもある。それを全部否定するつもりはない。ただ天皇制の問題はこの国の根幹です。例えば戦争のメカニズムは一体何だったのか、あるいは現状のジャーナリズムのあり方とか、一番大事なところを議論するときに、常に天皇制が多くの阻害要因となって自由な議論ができない。それはこの国の戦後民主主義の停滞の一つの要因であると思うんです。
(注1)中央公論1960年12月号に掲載された小説家・深沢七郎の『風流夢譚』が皇室を侮辱したものであるとして右翼団体が抗議。翌61年2月に右翼団体の少年が中央公論社社長宅に侵入し、お手伝いの女性を刺殺。社長夫人に重傷を負わせた。